第十五回 現今の日本 二(同上)
戻る ホーム 上へ 進む

 

 

第十五回 現今の日本 二(同上)
 いかなる時代においても現在なるものは必ず過去の分子と未来の分子と相衝突し、相格闘するの戦場といわざるべからず。この理はたして真ならばわが日本の現今においてもっとも真なりとせざるべからず。なんとなればかの過去の世界と未来の世界とは決して同一の世界にあらずといえどもその進歩を秩序のうちに保つの社会においてはその相距《あいさ》る、ことに遠からず。前岸に出没するの人影は後岸に立つ人の眼中には容易にこれを瞥見《べっけん》しうるがごとしといえども、現時の日本なるものは吾人がかつて『第十九世紀日本ノ青年及其教育』の小冊子において論じたるがごとく、
[#ここから1字下げ]
けだし維新大改革の大波瀾は実にわが青年と老人との距離をして数千万里の外に隔絶せしめたり。試みに泰西《たいせい》の開化史を一瞥せよ。かの北狄《ほくてき》蛮人が鉄剣快馬、ローマ帝国を蹂躙《じゅうりん》しついに封建割拠の勢いを馴致《じゅんち》し、君主・臣僕の制度をなして、欧州全土に波及せしめしより以来、第十九世紀の今日に至るまで、おおよそ四、五百年の星霜を経歴し歩々一歩を転じ、層々一層を上り、知らず識らず今日に至れり。この正経着実なる進歩に反してわが邦においてはこの数百年の長程を一瞬一息のうちに奔馳《ほんち》しついにこれがために数百年前封建の残余と数百年後文明の分子と同一の時代において、同一の社会において、肩を摩し袂《たもと》を連ねて、生活せざるべからざる奇異の現象を霎時《しょうじ》に幻出するに至らしめたり。
[#ここで字下げ終わり]
 しからばすなわち現今の日本は封建時代先天の日本と、明治時代後天の日本との大激闘の戦場といわざるべからず。もし偶像を破壊してあわせてその偶像を拝するところの迷心を破壊することを得、家屋を焼燼《しょうじん》してあわせて家屋に住する人の習慣・偏癖を焼燼することを得、制度を顛覆してあわせてその制度を維持したる固陋《ころう》なる観念を顛覆することを得、社会を改革してあわせて社会の精神・元気をも改革するを得ば、天下を改革するは掌を反すよりも容易なるべしといえども、かくのごとき哲学者の奇石なるものは決して社会自然の理において存するあたわず。されば今日のわが清鮮爽快なる日本の新天地においてすらなお旧分子の冥々隠々裏《り》に飛揚|跋扈《ばっこ》の威勢を逞しゅうするもまたゆえなきにあらざるなり。かの東方日出でてなお燈を点じ、天下公衆に向かってみずから蒙昧《もうまい》の吹聴《ふいちょう》をなすものはもとより論ずるに足らず。ただかのみずから天下の広居に立ち、改進の木鐸《ぼくたく》をもって任ずる人にしてなお旧日本のために支配せらるるものあるはなんぞや。
 試みに見よ。今日において政治社会を支配する重なる精神は何物ぞや。封建の遺習にあらずや。すなわち土地偏着の割拠主義にあらずや。それ封建社会は忽然として倒れたり。吾人はただ記憶の世界に向かってこれを尋ぬるを得べし。しかれども封建社会の精神は巍然《ぎぜん》として山のごとく屹立《きつりつ》するにあらずや。吾人は今日において封建割拠の結合のほかにいまだ政治上の結合なるものを見ざるなり。封建勲閥のほかにいまだ真正の政治上の権勢なるものを見ざるなり。封建感情のほかにいまだ真正の政治上の感情なるものを見ざるなり。実にわが権威ある政治家の脳中には不幸にもいまだわが日本全体の社稷《しゃしょく》人民を網羅するごとき思想の欠乏して、かえってその一地方一団結の勢力をもって天下を支配せんとするがごとき思想の過多なるを見るなり。あに嘆ぜざるべけんや。
 かつ官途の価値ある、いまだわが邦の今日のごときものはあらず。朝野の差別はあたかも極楽地獄の相違あるがごとく、九天の上、九地の下、その相距《あいさ》る千万|里程《りてい》もただならず。いかなる人物にてもひとたび官途に上ればあたかも竜門に上りたるがごとく、意気揚々、顧盻《こけい》おのずから雄厳にして、しかして他人のこれに接する生ける鬼神に事《つか》うるがごとく、慇懃《いんぎん》に尊恭するもまたはなはだし。昔ローマの英雄シーザーのスペインの知事に任ぜらるるや、慨然として曰く「ローマにおいて第二流の人物たらんより、むしろスペインにおいて第一流の人物たるにいずれぞや」と。もし吾人をして適当に今日のありさまを評せしめばかくのごとくいうべし。曰く「英国においてグラッドストンたらんより、わが邦において書記官たらん」と。おもうに世界万邦いずれのところかわが官吏市場のごとくその好景気を有するものあらんや。しからばすなわち怪しむなかれ。民間に学士・事業家・率先者の少なきを怪しむなかれ。なんとなればたといこれらの人々にしてみずから民間に足をとどめんとするも、決してその驥足《きそく》を伸ばすの余地は存せざるなり。すなわちわが民間の境遇は天下有為の人士を追うてことごとくこれを政府の囲範内に入らしめたり。吾人はまことに信ず。いやしくも民間の境遇にしてこれらの人々の位地をば政府の官吏と同等同地位に立たしむるの域に進まざるよりは、決してこれらの官途熱望者を一変して、民間の事業家となすあたわざるなりと。しかしてこの弊習もまた偶然にあらず。ただ実に封建時代の遺物なりとす。
 眼を転じて現今の経済世界を観察すればいまだかつて独立独行、政治社会の牽制を超脱してその純然たる経済的の事実なるものを見ず。たとえば日本銀行の貨幣市場における、日本鉄道会社の鉄道事業における、日本郵船会社の航海事業における、嶄然《ざんぜん》として頭角を顕《あら》わすがごとしといえども要するにこれみな政府の余力により、政府の余光を仮りてみずから豪なりとなすにすぎず。その他二十年間わが邦人の耳目に赫々《かくかく》たる土木築造のごとき、採鉱のごとき、あるいは農工商の改良のごとき、これみな明治政府の事業にあらざるはなし。しかしてかの民間の有志者がたまたま独立の営業を創《はじ》むれば、多くは中途にして種々の口実を設け、政府の保護を仰ぎ、その干渉をばみずから好んでこうむらざるものはほとんど稀なるありさまなり。かの三府五港はもちろん、各都府においてみずから誇称して紳商と称し、みずから商業世界の寡人《かじん》政府を組織したる人々を見よ。その人々はいまだ一人として政府と至密の関係を有せざる人ありや。その事業はいまだ一事として政府と縁故あらざる事業あるや否や。けだしこれあらん。吾人はいまだこれを見るを得ざるに苦しむなり。吾人は中古の歴史において欧州の土地はことごとく封建君主の所有にあらざるものはなく、しかしてたまたま自由所有主あればその所有主はこれを封建君主に献じ、さらにその臣民としてこれを借地するのありさまなりしを知るなり。今やわが邦の経済世界はむしろこれに類することなからんや。もし人、吾人に向かって今日の有名なるわが邦の紳商は封建時代のいわゆる官吏の一部ともいうべき御用達といくばくの相違あるかと問わば、吾人はいまだその相違の点を挙ぐるあたわざるに苦しむなり。
 およそ政治上においても、経済上においても、媚《び》を呈し、諂《てん》を献じ、百怜千悧《ひゃくれいせんり》、みずから幇間者《ほうかんしゃ》流をもって任ずるの輩は、深く責むるにも足らず。ただ吾人が朋友とも味方とも思い、たのもしき人々と親信する、いわゆる自由の弁護者、民権の率先者、天下の志士をもって任じ、慷慨悲歌《こうがいひか》みずから禁ずるあたわざる正義諸君子の挙動に関しても、はなはだ敬服の情を表するあたわざるものなり。
 そもそもこの諸君子は純乎《じゅんこ》たる急進自由の率先者なればその政治上の意見・議論・運動・行為は徹上徹下《てつじょうてつげ》、ただ自由主義と相始終するこそ志士の本色とも、真面目ともいうべきなれども、退いてその私を省みれば、なるほど自由主義は自由主義に相違なかるべしといえどもわが邦一種特別の自由主義にして、いわゆる江南の橘《たちばな》もこれを江北に移せば枳《からたち》となるがごとく、アングロサクソンの自由主義もこれをわが邦に移せばおのずからその性質を一変し、むしろこれを日本流もしくは封建的の自由主義といわざるべからざるがごとき異相を呈したり。なんとなればかの諸君子は平生は諤々《がくがく》として単純なる自由民権の主義を論弁するにかかわらず、たちまち隣国に事あれば曰くなんぞすみやかに長白山頭の雲を踏み破って四百余州を蹂躙せざるやと。それ外戦ひとたび開かば、政府の権力いよいよ増大ならざるを得ず。政府の権力いよいよ増大なるときは一己人民の権力いよいよ減少せざるを得ず。武備機関いよいよ膨脹するときには生産機関はいよいよ収縮せざるを得ず、常備軍の威勢飛んで天を圧するときは、人民の権理舞うて地に墜《お》つるのときなりといわざるをえず。しかるにかの諸君子はかかることを思うや思わざるや、人民の利害|休戚《きゅうせき》をば児戯のごとくに見なし、ただただ開戦論を主張し、ひとりこれにとどまらず、あわせてこれを実行せんと欲し、あるいは義捐金《ぎえんきん》をなし、あるいは従軍の嘆願をなし、あるいは猛激粗暴なる檄文《げきぶん》を投じ、あるいは詭激《きげき》無謀なる挙動をなし、恬《てん》としてみずから怪しまず、かえって志士の本色となすがごときはなんぞや。しかしてまた傍観者のこれを擯斥《ひんせき》せざるのみならず、かえって喝采鼓舞《かっさいこぶ》するものあるはなんぞや。
 吾人はクエーカーの宗徒にもあらず。またウィリアム・ペン氏をもってみずから任ずるものにもあらず。されば事情を論ぜず、場合を問わず、決して外戦をばなすべからずというにはあらざれども、ただ、万々やむをえざるの場合においてただ一国の正義と体面とを平和の談判にて調《ととの》うべからざるの場合において、すなわち仁|臻《いた》り義尽くるの場合において初めてこれをなさんと欲するものなり。ゆえに吾人はナポレオンの侵略主義とワシントンの自由主義とは決して両立しうべきものにあらずと信ずるなり。しかしてかの諸君子は平生ワシントンの自由主義をもってみずから任ずるにもかかわらず、一事件の生出し来たればナポレオンの戦争主義をもってこれを任じ、一人にして両様の人物を兼ねんと欲するに至りては吾人が実に解せざるところなり。
 かの平生自由の朋友をもって任ずるの諸君子にしてその反覆豹変《はんぷくひょうへん》、その徳を二、三にするかくのごとし。自由をして口あらしめば、まさに天下に知己なきを泣くべし。それかくのごとし、吾人いずくんぞわが邦において自由主義のいまだその勢声を得、その全社会を挙げて、全国を挙げて、自由の帝国となし、全人民を挙げて、自由の人民となすあたわざるを怪しまんや。しからばすなわちわが自由主義の率先者もその隠秘なる脳中は依然たる封建の頑民《がんみん》たるに過ぎざるなり。
 今やわが邦に流行する国権論武備拡張主義のごときも要するにその新奇なる道理の外套を被るにもかかわらず、みなこれ陳々腐々なる封建社会の旧主義の変相に過ぎざるなり。それ政治の問題は事実の問題なり。政治上の経験は化学家が元素の試験をなすがごとく、容易にして廉価なるの経験にあらず。しかして世上往々政治をもって一の玩弄物《がんろうぶつ》としてその経験をば烟火《えんか》のごとく愉快なるものとなし、その問題をば詩人の花鳥風月における、小説家が人情の変態におけると一般の思いをなし、飄忽変化《ひょうこつへんげ》もって放言高論を逞しゅうし、もって愚妄無識の人民を籠絡《ろうらく》せんとするがごときものあり。吾人は実に邦家のためにこれを慷慨せざるを得ず。
 かの旗を黒竜江上の朔風《さくふう》に翻し、馬を呉山の第一峰に立てみずからアレキサンダー大帝、チムールをもって任ずるは、快はすなわち快なりといえども、はたしてかくのごとき壮図雄略は実行せらるべきことなりや否や。論者はみずからこれを実行せんと思うや否。もしみずから実行すべからざるを知って大言を逞しゅうすればこれ人を欺き、天を欺きかつみずから欺くなり。もし真にこれを実行せんと欲するか。これ実にいかなる無謀の匹夫黒旋風|李逵《りき》といえどもその無謀には驚絶すべし。論者はよろしく梁山泊《りょうざんぱく》の世界を求めてこれに赴くべきなり。記憶せよ今日はこれ第十九世紀の文明自由の世界なることを。
 吾人はこれを聞く古《いにしえ》無骨なる武士あり。かつて『曽我物語』を読み、曽我兄弟がその父の讐《あだ》を報じたる痛快|淋漓《りんり》の段に至り、矍然《かくぜん》として案を拍《う》って曰く「我あに一度は父讐《ふしゅう》を報ずるあたわざらんや」と。論者もまたこの類ならん。それ実際に行なうべからざることを思い、実際に行なうべからざることを口にするは詩人・小説家の任なり。わが政治上の世界は広大無辺なりといえどもいまだかかる一種の奇怪なる妄想説の実行を容《ゆる》さざるなり。さらにまた一種の論者あり。曰く「今日においては内に一尺の民権を伸ばさんより、外に一寸の国権を拡むるにしかず。武にあらざれば国を立つるあたわず。兵にあらざれば国を保つあたわず。それ今日は優勝劣敗の世界にあらずや」と。それ国家の目的はいかんの点に存するか。国家はなんのために組織せらるるか。リーバー、ウールジー、ミル、スペンサー一人として国家の目的は一|己人《こじん》を保護するにあることを説かざるものはあらず。吾人は決して喋々《ちょうちょう》としてここに政治学の講義をなすを要せず。論者少しくみずから省察すれば可なり。それいかに国権を拡張し、外国を侵掠したりとて一己人民の権利をば蹂躙し去らば国家の目的いずくにある。古来より世の圧制君主にして民権を圧制せんがために国権拡張に従事したるものそれ幾人かある。論者の言のごとくんばかくのごときはもっとも願うべきことならん。はたしてしからば論者はナポレオン第三世のごとき人を帝王と仰ぐこそその本望ならん。すなわち圧制残忍なる欧州の籠絡|巧詐《こうさ》の帝王の臣民たるを欲するか。かつ今日の世界をもって周末秦初七雄の時代と同視するがごときはもっとも迂遠皮相の見といわざるべからず。もちろん吾人は今日をもって黄金の世界とも思わず、睡眠の社会とも信ぜず。優勝劣敗の大法則は昔時のごとく否むしろ昔日よりいっそう快活・周密に行なわるることを信ずといえども、その優勝劣敗なるものはただ兵力の多小によるや否や。吾人はこれを知る、かの文明のいまだ社会に出で来たらず、文明の利器いまだ社会に出で来たらざるときにおいては、優勝劣敗なるものはただ簡単なる腕力の一作用をもって判断すべしといえども、今日文明の利器|燦然《さんぜん》として社会を支配するときにおいては腕力ももとより一分子に相違なしといえども、吾人はこれをもって唯一の分子とも、また重なる分子とも思わざるなり。しかして吾人はむしろ富と知力とをもってもっとも恐るべき、もっとも勢力ある分子なりと信ずるなり。すなわち優勝劣敗の大法はいかなる国体をも、いかなる人種をも、いやしくも野蛮にして貧乏なればこれを呑滅してもって文明にして富める国の餌食となすを信ずるなり。ゆえにもしわが邦国権の振わざるを嘆じ、わが邦国威の揚がらざるを嘆じ、わが邦独立の長からざるを嘆ずるものはただ一の遅疑なく、一の姑息《こそく》なく、わが邦をして文明にして富実なる国となさしむるにあり。
 かつある論者は曰く、「国も富まさざるべからず。兵も強くせざるべからず。強兵富国は決して分離すべきものにあらず。けだしこの二者はつねに相携え、相伴い、いまだかつて一日も相|乖離《かいり》したることあらず。ゆえにわが邦においてはただ公平至当一様にこれを伸ばすべきのみ。またなんぞその軽重・前後・緩急をこれ論ぜんや」と。この論はなはだ穏当着実もって俗人を瞞着《まんちゃく》するに足るといえども、静かに考うるときは実に一種の詭弁《きべん》といわざるべからず。試みに思え国富めばもって兵強きを得べし。なんとなればたとい過多なる常備軍なきも、その人民は独立自治、もってその国家と一己人の自由のために戦うべし。その器械はもって精緻細巧《せいちさいこう》の妙品を整うるを得べし。しかれどもただちにこれを倒装して兵強ければもって国を富ますを得べしというべきか。今日の世界は富もって兵を支配すべきも、兵もって富を支配するの世界にあらず。もし論者の言のごとく、富は兵を支配するがゆえに兵もまた富を支配すといわば、世界は山を含むがゆえに山を指してこれ世界なりというを得べきか。犬は動物なるがゆえに動物はすなわち犬なり。人も、猫も、鼠もまた犬なりというを得べきか。世あにかくのごとき奇怪なる論法あらんや。かの武備生産の二主義が決して両立すべきものにあらざることは吾人すでにこれを陳述したり。しかるに論者は一方においては冗官《じょうかん》を汰《た》すべし、不急の土木を廃すべし、地税を減ずべしと疚痛惨怛《きゅうつうさんたん》、かの舜《しゅん》が歴山の野に犂《すき》によって佇《たたず》み、旻天《びんてん》に号哭したるがごとく嘆訴すれども、かえって一方においては海陸軍を拡張せざるべからずと勧告するはなんぞや。それ海陸軍はなにによりてこれを拡張するか。ただ租税を増加するによりてこれを拡張するのみ。一方においてはこれを増加せんことを促し、一方においてはこれを減少せんことを促す。たとい政府の諸公にして神通自在の大能力を有するも決してよくするところにあらざるべし。それ東去西来の二舟子をしてともに順風の沢に浴せしめんとするは全知全能の上帝すら、これをなすあたわざるにあらずや。論者|過《あやま》てり。
 あるいは曰く「一国の光栄を維持するには実に兵備を仮らざるべからず。わが輩が雄大精細なる兵備を整理するはただちにこれをもって外国に向かって開戦を挑まんと欲するにもあらず。また一国の独立にただちに差支えあるがゆえなるにもあらず。ただ数百の兵営を国中に設け三里の城、七里の郭《かく》、飛鳥も越ゆるあたわざるの堅固なる塁柵《るいさく》を築き、砲台を設け、数十艘の甲鉄艦は旭日《きょくじつ》の旗章を五大州各地の港湾に翻々たらしめ。もって世界万邦に向かってわが日本あるを知らしめ、わが日本の侮るべからざるを知らしめ、わが日本の尊敬すべきを知らしむるはまた愉快ならずや」と。吾人ももとよりこれを愉快なりと思わざるにあらず。しかれども論者の言のごとくはたして兵備をもって一の驕奢品《きょうしゃひん》なりとせば、吾人は容易にその論に与《くみ》するあたわざるなり。それ驕奢品なるものは必要品の需用を飽かしめたるののちにおいてすべし。いまだ茅屋《ぼうおく》のうちにありて大門|高墻《こうしょう》を作るものあらず。いまだ飢餓に瀕して羊肉・葡萄酒を沽《か》うものあらず。いまだ一国の生活すら満足に維持するあたわずして国威を輝かし、外人の尊敬を博せんとするものはあらざるべし。いわんや武備なるものはこれを驕奢品として考うればもっとも不廉|高直《こうち》なる代物なるにおいてをや。それ驕奢品は必要品ののちにおいてし、高直なる驕奢品は廉直なる驕奢品ののちにおいてするはこれ経済的自然の順序なり。しかるに論者は法外にもこれを顛倒せんと欲するか。それ「武士は食わねど高楊枝」とは実に封建武士の気風を穿《うが》ちたるの俚諺《りげん》なり。しかして論者はわが邦をしてこの貧乏武士を学ばしめんと欲するか。ああ論者もまた封建武士の子孫なるかな。
 これを要するに今日のわが国は実に新旧日本の戦場にして政治・宗教・文学・教育・学問・生活・感情・思想のうえに至るまで一としてその触着あらざるはなく、これを一国のうえにおいて観察するも、一国の戦争はつねに新旧二主義の戦争なり。これを一地方のうえにおいて観察するも、これを一家のうえにおいて観察するも、これを一身のうえにおいて観察するも、みなしかりとす。かくのごとく二主義の戦争はあたかもペルシア古代の神学者が解説のごとく、二個敵対の神祇は広大に瀰《ひろが》り、精微に入り、いかなる濶大《かつだい》なる物体のうえにおいても、いかなる緻密《ちみつ》なる極微分子のうちにおいても、ともに存せざるところなく、ともに在らざるところなく、ともに触れざるところなく、ともに戦わざるところなきがごときを見るなり。しからばすなわちこの戦争の結局はいかん。
 もしそれ武備主義をもって、貴族社会をもって、わが一国の生活を保ち、万国と対立するを得ば、いずくんぞわが国の固有にしてしかも得意なる軍隊組織を顛覆するを要せんや。いずくんぞ維新大改革をなすを要せんや。いずくんぞ宇内《うだい》の形勢を洞察して武備主義を一変して生産主義となし、貴族社会を一変して平民社会となすの端緒を啓《ひら》くを要せんや。いやしくもわが今日の復古論者の言のごとくせば赫々《かくかく》たる維新の功業それいずくにある。吾人はかつて維新の際において幕府の参謀原|仲寧《ちゅうねい》の言を聴き、実に慨然たらざるあたわず。
[#ここから1字下げ]
余京に入りてより、三たび歳を易う。変故百出。ほとんど人力のよくなすところにあらず。病床に寝《い》ねずして、深くそのゆえを考うるに、始めて知る天地の間もとより自然の大勢あり。冥々の間に循環し、しかしてその潜運黙移つねに人意の表に出ず。その時に処しその局に当たりて、あるいは知るに及ばざるもの、知りて制するに及ばざるものあり。これもとより俗士とともに談じがたし。よってもって歔欷《きょき》するものこれを久しゅうす。
[#ここで字下げ終わり]
 それ天下の大勢は幕府のいまだ倒れざる、封建社会のその勢力を維持したる、すなわち日本鎖国の堤防なお存在したるのときにおいてすら、あるいは知るに及ばざるものあり。あるいは知って制するあたわざるものあり。しかるに今や天破れ、地驚き、滔々たる洪水は天に漲《みなぎ》り、山となく、川となく、城となく、市となく、水天茫々、ただ瀾飛び、濤舞うの今日において宇内の大勢に抗せんとする、それ難からずや。
 それ世界の気運は奔《はし》りてやまざるものなり。天下の大勢は光陰の潮流とともに動いてやまざるものなり。ゆえに二十年前においてわが邦を刺衝したる天下の大勢は、今日はさらに一倍の勢力をもって刺衝するものなり。二十年前において維持するあたわざりし武備主義・貴族社会は今日においてさらにいっそう維持するあたわざるものなり。それ上流において駐止するあたわざる水勢は下流においてはなおこれを駐止するあたわざるにあらずや。それ二十年前の大勢はすなわち今日の大勢なり。二十年前の困難はすなわち今日の困難なり。昔日の改革の時代たるがごとく今日は実に改革の時代なり。
 しかるにかのわが邦の人士は小成に安んじ、小庸に泥《なず》み、みずから揚々然として得たりとし、わが事業終われり、残躯天の許すところ、楽しまずんばまたいかんせんと謡うものあり。しかしていずくんぞ知らん、その脳中の魔鬼は跳梁《ちょうりょう》してもって渠輩《きょはい》を駆って復古の事業を行なわしめんと欲することを。ああ日本人よ満足するなかれ。改革の事業はいまだ半途にだも至らざるなり。旧日本はすでに去れりと思うなかれ。今日の社会を支配する重なる部分はすべてこれ旧日本の分子なり。汝もしこれを疑わば乞う、これを汝の脳中の魔鬼に問え。

 

戻る ホーム 上へ 進む

僕の作業が遅くて待っていられないという方が居られましたら、連絡を頂ければ、作業を引き渡します。また部分的に代わりに入力して下さる方がいましたら、とてもありがたいのでその部分は、何々さん入力中として、ホームページ上に告知します。メールはこちらまで