第十四回 現今の日本 一(同上)
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第十四回 現今の日本 一(同上)
 現在の日本に立って現在の日本を談ぜんと欲するは、これなお馬に対してその馬なるを説き、山に向かってその山なるを弁ずるがごとく、ほとんど無用の議論なるがごとしといえどもなお一言せざるべからざるものあり。なんとなれば現今の形勢をつまびらかにせずんばもって将来の命運を卜するあたわざればなり。
 吾人は徳川政府の顛覆《てんぷく》をば毫も怪しまざるなり。なんとなれば、昨日は東周今日は秦《しん》。咸陽《かんよう》の煙火|洛陽《らくよう》の塵《ちり》。いかなる貴族社会といえども、一度はその実力が門閥を制する非運に遭逢せざるべからざるはもとより論をまたざればなり。しかれども政府の顛覆とともにあわせて社会の全体を顛覆し、政府の改革とともに同じく社会の全面を改革し、その改革の猛勢はとどまらんと欲してとどまるを知らざるの一点に至りては千古の奇観ほとんどわが東洋の歴史に比類なきを見るなり。試みに見よ。シナ二十四朝の革命のごとき、もしくは新井白石が王代九変武家五変と節目したるわが邦の改革のごとき、これみな朱三・王八・大頭公・猿面郎がたがいにその秘技を演ずるにもかかわらず、ただこれを演ずる人の異なりたるものにして、その舞台も同様の舞台なり。その戯曲も同様の戯曲なるにあらずや。ゆえに東洋改革史なるものは陳腐《ちんぷ》常套《じょうとう》実に読むに堪えざるものあるなり。
 ひとりわが維新改革の歴史に至りては、雄勁蒼莽《ゆうけいそうもう》、曲曲人意の表に超出し、人をして一唱三嘆せしむるものあるはなんぞや。吾人は断言す。ただただわが維新の大改革なるものは内外の刺衝一時に抱合し、外《そと》圧し、内迫り、ついに一種の壮観奇状を呈したるものなることを。さらにつまびらかにこれを言えば世界の大勢はもってわが人心を警醒《けいせい》し、わが人心は世界大勢必至必然の圧力に迫られ、ついに意外の大事業をなし、永劫未来いまだかつて見ざる、いまだかつて聴かざる、いまだその脳中に浮かみ来たらざる新奇新鮮なる意外の戯曲を舞わしめたることを。それあにひとり傍観者たる吾人のみこれを意外なりとせんや。実にかの演戯者たる愛国義胆の維新改革先達もまた意外となしたるや必せり。吾人は永くわが開国の歴史において記憶すべき、すなわち新日本開拓の第一先登者たるペルリ氏の当時の将軍に奉りたる書状を見るに、
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御国法と申す儀も御一国御一己のお取極《とりき》めまでにて当時にては万国ともに通商致さざる国とてはこれなきことに候えば万国の例に御随順、通商御始めに相成り候かた貴国の御ために相成るべく候。
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 いやしくもこの一節を熟読せばわが維新改革歴史の難題はみな刃を迎えて解くべきなり。それナイルの下流に大洪水あるはアビシニアの山中に大雨あればなり。わが邦はその改革前まではいまだ一雲片の空間に飄《ひるがえ》るを見ず。いまだ一点滴の大地に墜《お》つるを見ず。しかして忽然として政府はもちろん旧世界を一掃し来たるの大洪水出で来たりたるは決して魔術のしかするにあらず。ただただ世界風潮の大波瀾あるがゆえにあらずや。ゆえにかの維新改革の先達は玉石ともに焼かんことを恐れ、左盻右顧《さけいうこ》したるにもかかわらず、かの大勢はわが先達をば必迫の圧力をもってこれを駆り、その一改革はさらに他の改革を激し、その一の顛覆はさらに他の顛覆を誘い、やまんと欲してやむあたわず、休せんと欲して休するあたわず、ついにその霹靂《へきれき》手段は今日においてほとんど遺類なきほどに改革を行なわしめたり。
 試みに見よ癸丑甲寅《きちゅうこういん》以来、わが改革家は幾回かここに駐止せんと欲したれども、改革の猛勢はこれを承諾することなく、転々相転じ、ついに慶応三年徳川内府大政を返上し、中興の事業まったく成就したりと思いのほかに、戊辰《ぼしん》の大変動となり、すでに太政官制《だじょうかんせい》を定め、まず雨降りて地固まることならんと人々安心したるにもかかわらず、ついに諸藩版籍奉還となり、その勢い一転してまた未曽有《みぞう》の大改革たる廃藩置県の一英断を来たせり。かくのごときあに夢にだも当時改革家の胸中に廟算《びょうさん》のあらかじめ存したるものならんや。ただ臨機応変の処置は知らず覚えず、わが邦の武備社会を一変して生産社会となし、貴族社会を一変して平民社会となすの大基礎を築きたるなり。試みに当時の詔勅条例を見よ。その意気|凜烈《りんれつ》・精神活溌なる、ほとんど人をして当時の風雲を追懐やむあたわざらしむるものあり。しかしてその「宇内《うだい》の形勢を考察する」といい、「近来宇内大いに開け各国四方に相雄飛するのときにあたり、ひとりわが邦のみ世界の形勢に疎《うと》く旧守を固守し、一新の効を謀らず」といい、「万里の波濤を開拓し、国威を四方に宣布し、天下を富嶽の安きに置かん」といい、あるいは「ただ願わくは大活眼大英断をもって天下万民とともに一心協力、公明正大の道理に帰し、万世にわたって恥じず、万国に臨んで愧《は》じざるの大根柢を建てざるべからざる」というがごとき、これみなその先達の諸子が冥々《めいめい》黙々のうちに当時の大勢より支配せられたるを知るべきなり。実に当時の大勢はあたかもアラビアの砂漠海に現われたる白雲紅火の円柱が、かの方向に迷うたるイスラエル人を誘導したるがごとく、もってわが維新※[#「てへん+発」、167-15]乱反正の事業を誘導し、一瀉《いっしゃ》千里もって今日の新日本には到着したり。けだし改革先達の諸氏もとより曠世《こうせい》の人物なりといえども、その活眼卓識に至りては、多く横井|小楠《しょうなん》翁の右に出ずるものを見ず。しかして翁が将軍大政返上のときに際し、越前老公に建白したるものを見るに左のごとし。
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一、幕廷御悔悟御誠心発せられ、誠に恐悦の至りなり。四藩の御方一日も早く御登京御誠心の御申し談じ朝廷御補佐に相成り候えば、皇国の治平根本ここに相立ち申し候。幕公いよいよもって御滞京にて正義の人々御挙用まず某殿《なにがしどの》御登庸御誠心御培養これ第一のこいねがうところなり。
一、一統の諸侯早速に御登京はいかが。ひとまず重役御差し出し候方多分これあるべく。新政の初め別して御大事にて四藩のうち御登京のうえは大赦の大号令仰せ出だされたし。
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ただし 朝廷も御自反御自責遊ばされ、天下一統人心洗濯こいねがうところなり。
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一、一大変革の御時節なれば議事院建てらるる筋もっとも至当なり。上院は公武御一席。下院は広く天下の人才御挙用。
一、四藩まず執政職仰せつけられ、その余は諸侯賢名相聞こえ候うえ追々に御登用。
一、皇国政府相立ち候うえは金穀の用度一日もなくんばあるべからず。勘定局を建てられ〔この人選ことに大切なり〕差寄《さしより》五百万両くらいの紙幣|出来《しゅったい》皇国政府の官印を押し通用相成るべきこと。
一、皇国中の知行に課し、高一万石に百石と定め政府の貢米に仰せつけらるべきこと。
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ただし幕府御辞職なれば莫大の用度を省かれ諸侯室家帰国参勤相やめ、江戸引払いにてこれまた莫大の省減なり。十分一の貢米は当然なり。紙幣はこの貢米よりようやく取り収めのこと。
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一、刑法局を建てらるべきこと。
一、海軍局を兵庫に建てらるべし。関東諸侯の軍艦御取り寄せ十万石以上の大名に課せて、高に応じ、人数を定め、兵士を出ださしめ、西洋より航海士ならびに指揮官を乞い受け、もっぱら伝習せしめ年々艦数を増し、熟練のうえは人心一致士気盛興万国の形勢と並立《へいりつ》すべきこと必然なり。その総督官は大名のうちその器に当たらるる人へ命ぜられ、以下の士官は関東諸藩当時熟練の士を挙用すべし。すべて用度はまず勘定局より出だし外国交易盛行のときに至れば諸港の運上交易の商税をもってこれに当《あ》つべし。
 この費用莫大なれば貨財運用の妙は議事院中の人傑必ずよくこれを弁ずるものあらん。
一、兵庫開港期日すでに迫れり。国体名分改正の初めなれば旧来の条約明白適中せざるは一々に改正し公明正大百年|不易《ふえき》の条約を定むべし。ただおそらくは事件によっては忌嫌《きけん》なきにしもあらざるべし。これら後日の大悔となるべきを慮《おもんばか》り公平の談判あらんことを欲す。
一、外国に交易商法の学ありて世界産物の有無をしらべ、物価の高下を明らかにして広く万国に通商しさらにまた商社を結び、たがいに相影響をなす。かくのごとき熟練をもってわが拙劣の人に対す。ほとんど大人と小児とのごとし。これ彼が大奸《たいかん》をなすゆえんなり。六余年来三港の交易我において一人の富をなさず。彼はすべて大富有の商となれり。この現実にてこれまでの交易わが大損たること分明なり。これを要するに我より外国に乗り出ださざるの大弊にて今日これを改めんことを欲す。西洋においては露・英・仏・米・蘭の五国、漢土にては天津《テンシン》・上海《シャンハイ》・広東《カントン》の三港に日本商館を設け建つべし。さて内地において商社を建て、兵庫港なれば五畿内四国南海道の大名は申すに及ばず、商人百姓たりとも望みによってはその社に入れ同心一致しあいともに船を仕立て乗り出だし交易すべし。他の三港はこれに准じて略す。ただみだりに出入を禁じ必ずその港の鎮台の印鑑を受け、行く先の日本商館へ達すべし。帰帆もまた同様なり。かくのごとくなれば自然に商法に熟し、その利を得ること分明なり。内地もまた自然と彼らが奸を剥《はく》し公平の交易に帰すべし。これらもっとも大事件に関すればすみやかに議定あらんことを欲す。
一、外国公使|奉行《ぶぎょう》ならびに諸侯鎮台等の御役人関東御辞職といえども諸侯の長にて候えばその職一人は旗本《はたもと》の士より選用に定めその余は下院中より選挙。
一、大小監察|右筆《ゆうひつ》等の類無用に属す、廃職なるべし。記録布告等は下院にてなすべし。かくのごとくなれば簡易の政事に帰するなり。
一、国体改正によって各国に公使を立てられ布告これあるべきこと。
右等件々即今の御急務と存じ奉り候。学校を初め御改政の諸事愚存御座候えども政府の御基本相立ち候うえ御|取興《とりおこ》しのことと存じ奉り候。至急に相認《あいしたた》め別して不都合に御座候えどもいささか寸心表白までに献言仕り候。以上。
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 吾人はこれを一読して実に翁の規模遠大まことに改革率先者たるに愧じざるを感ずといえども、しかれどもなお翁の眼中にすら封建の制度は恍惚《こうこつ》として存したるを見るなり。しからばすなわちこの軍隊組織の社会を顛覆したるはこれたれの力ぞや。いわゆる趙翼《ちょうよく》がすなわち人情なお故見に狃《な》れ、天意すでに別れて新局に換うるを知る者にして天下の大勢やむべからざるがゆえにあらずや。
 吾人は実に維新の歴史を読むに際し、いまだ一としてその事業の尋常の原因より出でて尋常の結果に入りたるものを見ず。その前提とその結論とあいともに普通の関係を有したるものを見ざるなり。それ幕府に抗敵し、一戦もってこれを倒したるは薩長二藩なり。二藩たるものはもって幕府の遺跡を継ぎ東西の二大将軍とこそなるべきに、かえって藩籍奉還の議を上《たてまつ》りたることこの二藩の率先鼓舞に出でたるはなんぞや。維新の大功臣なるものは問わずして西郷・木戸・大久保の諸氏なるを知るべし。しかして廃藩置県の議のかえってこれら諸氏の主張煽動に出でたるはなんぞや。維新の改革は一の武士が他の武士に向かってその勝を制したる、すなわち武士の改革なり。しかるにかの武士なるものは主として武士の権を殺《そ》ぎ、その特例を奪い、その特許を剥《は》ぎ、家禄を没収し、その生命と頼みたる刀剣さえ帯ぶるを禁じたるはなんぞや。人、哲学者にあらず、たれか労してその功を求めざるものあらんや。しかるにかの維新改革の功藩功臣諸氏は電撃雷撃の死地に立ち、万死一生の途を出入し、端なくこれを成就するに際し、かえってその功におるを欲せず。これを天下に推し及ぼし公明正大の政略を採りたるゆえんのものはなんぞや。必ずゆえあらん。
 けだし表面より観察すれば、これらの推譲は煙火を食《は》まざる天使の事業にして、とうてい濁世煩悩界の人間の事業にあらず。さればこれらの諸氏はほとんど情海欲瀾のほかに超然たる天人ならんと疑わるるがごとしといえども、裏面よりこれを観察すれば決して怪しむに足らざるなり。なんとなれば必然の勢いやむをえざればなり。それ必然の勢いに圧迫せらるるときには何人といえども哲学者たるを得べし。聖人たるを得べし。なんぞひとり維新改革の諸氏のみならんや。
 かの諸先達もまた人なり。あにその胸中一点名利の心なからんや。およそ人生の事業において多少の賭博《とばく》の分子を帯びざるものはあらず。しかしてその分子の多少に従い、危険の性質を帯びざるものはあらず。しかして人生の事業いまだ政治の改革より賭博的のものはあらず。すでにしからばその危険なるまた知るべし。しかるがゆえにこの天荊地棘《てんけいちきょく》の世界に奔走して幸いにその目的を成就するを得るに及んではただ意の欲するままなり。思うところ、願うところ、何事か成らざらん。何事か遂げざらん。これすなわちわが東洋の改革家たるもの、たれかかくのごとくなさざるものあらんや。しかしてかの維新先達の諸公はなにゆえにこの快活|豪爽《ごうそう》なる東洋流の英雄をば学ばずしてかえって謹厳端正なる米国の創業者のごときものを擬したるか。これ実にやむべからざるものあればなり。ああ宇内《うだい》生産的の境遇と平民主義の大勢とはわが幕府を駆りわが井伊大老を駆り、わが水戸烈公・藤田東湖を駆り、わが佐久間、吉田諸氏を駆り、わが梁川星巌《やながわせいがん》を駆り、わが横井小楠翁を駆り、会桑を駆り、越前公を駆り、薩長二藩を駆り、西郷・木戸・大久保諸氏を駆り、佐幕勤王に論なく、攘夷開港を問わず、無謀の暴挙にせよ、活眼の経綸にせよ、因縁もなく、関係もなく、個々分離・自家撞着の事業をばその儀型のうちに溶解しこれを圧搾して当時英俊豪傑が竜顛虎倒の分子は尋ぬるに痕《あと》なく、唯一の新日本なる固結体を製出したり。この新日本こそすなわち吾人が現今の日本なり。

 

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