第十三回 過去の日本 二(同上)
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第十三回 過去の日本 二(同上)
 わが徳川時代のごとき武備機関の膨脹したる邦においては、いかに平和なるも、いかにその人口を増殖するも、いかにその物産は興隆し、いかにその農工商の生産者は勤労するも、決してその全国の富の蓄積を来たし、全国人民の生活の度を進歩せしむるあたわざるなり。なんとなればすべて年々産出する富は年々この軍備に供し、すなわち武士および高等武士を養い、その驕奢を飽かしめんがために消費すればなり。年々歳々かかる不生産的のことに向かってその富を投ずるは、なお貨物を水底に投ずるの類なり。決してその再生の見込みはあらざるなり。これ徳川氏の天下二六〇余年の太平なりしにもかかわらず、わが邦は依然たる野蛮にして貧国たるゆえんなり。
 実に武備の立法者の眼中には唯一の兵略上の思想あるのみ。その城下の位置を定むるに、山を絶ち、澗?《たに》によるの天険を択《えら》び、その道路|湊門《そうもん》を築造するも、ただ攻守の便宜より判断を下し、その関門を設けその津留《つどめ》をなし、その行政の区域を定め、その人民を統制するがごとき、一として兵機より出でざるものあらず。あるいはその農工商の事業に干渉するがごときももとよりその事業をば一種独立なる生産的の事業としてしかするにあらず。ただその武備の目的を達する一手段一作用としてなすものなれば、もちろん経済上の真理のごときは夢にだもその脳中に浮かみ来たる道理もなく、ただその万一のときにおいて、隣国と開戦のときにおいて、その籠城《ろうじょう》のときにおいて、差し支えなき糧食|輜重《しちょう》をば平生に調達しおかざるべからずとなすがゆえに、第一に封建領主が奨励したるは農業にして、農業中ことに奨励したるは穀物の産出なり。しかしてかの封建局外の学士|頼襄《らいじょう》のごときすら封建立法者の策中に籠絡せられ、なお農を尊び、商を賤しむの議論をなす。その弊また知るべきなり。
 これに続いて武器調度の類、あるいはその領主の逸楽を飽かしむるの驕奢品をも、ことごとくその領地において製作せしめ、およそ今日において南極洋の裏、北斗星の傍《かたわら》、あるいは熱沙漠々たる赤道直下において、およそ舟車の及ぶところ、太陽の照らすところ、空気の通ずるところ、人類の住するところを挙げて人類の需用を充たすの供給地となすにもかかわらず、わが封建の世界においては日本一国をもって唯一の経済世界の版図となせり。その窮屈もまたはなはだしからずや。かくのごときはなお可なり。この日本国には三百の領主あり。その領内はみな一の兵営にして、その営中の人民は決して自由の運動を有せざればわが封建の経済世界は取りも直さずこの一領地といわざるべからず。すなわちこの日本の面積平均三百分の一なる八十余方里をもってその一世界一天地とせざるべからず。すなわちこの豆大の天地において、この僅少の人民において、世界を挙げて、世界の人民を挙げて、その従事する職業はこれを概括して負担せしめ、その産出を求めざるべからず。かかる社会においてあに分業の法行なわれんや。あに損を去りて利に就くの便宜法行なわれんや。あに天の時を得、地の利を得、人の和を得、自然の傾向に従い、自然の職業をなすがごときこと行なわれんや。すなわち封建領地のありさまこそ老子のいわゆる至治の世ならんか。
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〔註〕老子曰く。至治の極は、隣国相望み、※[#「奚+隹」、第3水準1-93-66]狗《けいく》の声相聞こえ、民おのおのその食に甘んじ、その服を美にしその俗に安んじ、その業を楽しむ。老死に至るまで相往来せず。
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 ああ封建至治の世界は実にかくのごとし。これあに吾人が希望するところならんや。すでに封建の社会はその生産者たる人民をして、ことごとくみずから鍛工となりて耕具を作り、みずから農夫となりてこれを耕し、みずから料理人となりてこれを調理し、その近海を航せんとするにはみずから舟大工とならざるべからず。みずから水夫たらざるべからず。その茅屋《ぼうおく》を結ぶにはみずから木挽・大工・石工・泥匠とならざるべからざるところのかのロビンソン・クルーソーを学ばざるべからざらしめたり。それかくのごとし。あにいずくんぞ生活世界の進歩を望むべきの理あらんや。かくのごとくわが封建社会の人民は窮屈の世界中、さらに幾層の窮屈世界に住し、不自由の天地中、さらに幾倍の不自由天地におらざるべからざる、一の可憐の孤囚なりき。しかして渠輩《きょはい》はなにがゆえに悠々寛々としてこれに安んじたるか。曰く、ゆえあり。なんとなればかの隣国はこれその敵国なればなり。昔は北条氏塩の販売を甲斐《かい》に閉ざし、これがために武田氏の困阨《こんやく》したることあり。それ白刃前にあり。あに十指を断つを恐れんや。それつねに籠城の覚悟なり。つねに死地に立つものなり。このときにおいて唯一の兵略上の必要あるのみ。すなわちいかにしてもただ無事に欠乏なく籠城の目的を達しうれば可なり。あに他を顧みるに遑《いとま》あらんや。徳川氏の天下は元亀《げんき》・天正《てんしょう》の胎内より出で来たりたるものなり。その多事の日において慣例格式たることは無事の日にもまた慣例格式となるものなり。
 それかくのごとくわが封建の世界において、隣国を敵とするゆえんのものはなんぞや。その武備社会の本質においてしかせざるべからざる必要存すればなり。なんとなればかの武備の社会なるものはただ隣国を奪わんと欲するかもしくは奪われざらんと欲するの他にその政略なるものあるべからざればなり。しかしてその手段はかくのごとくその場合において攻守の相違を生ずといえどもひっきょうその目的なるものは隣国を敵とするの一点に帰着すべし。ゆえにあるいは長蛇の急坂を下るがごとく進撃することあるも、あるいは猛虎の嵎《ぐう》を負うがごとく退守することあるも、勢いその頼みとすべきはただ自家領内の一天地にあり。しからばすなわち割拠の主義はこれあに武備社会の主義にあらずや。かの徳川氏が鎖国の政略を取りたるも、かの諸侯らが鎖藩の政略を取りたるも、もとよりその本を一にするものにして決して異《あや》しむに足らず。はたしてしからばかの封建武士らが「北客よく来たるなにをもってか酬《むく》いん。弾丸硝薬これ膳羞《ぜんしゅう》。客なお属※[#「厭/(餮−殄)」、第4水準2-92-73]《しょくえん》せずんば、よし宝刀をもって渠《かれ》が頭に加えん」の軍歌を謡うて相互に狼視豺睨《ろうしさいげい》したるもまたゆえなきにあらざるなり。吾人はここにおいてかかの保護貿易なるものは実に封建社会の遺物にして、しかしてかの干渉主義なるものは実に封建社会の目的を達するにもっとも欠くべからざるものなることを知る。ゆえに封建社会においては尺地もその領主の有にあらざるものなく、一夫もその主人の臣たらざるものなく、武備の版図全局に膨脹してまた他に立錐《りっすい》の余地を剰《あま》さず。目を挙げて経済世界のありさまを見れば、秋風|寂寞《せきばく》、満目荒涼、ただ黄面|痩骨《そうこつ》、人鬼相半ばするの老若男女が犂《すき》を揮い、杼《ひ》を握るを見るなり。その従事する職業はもとより自由の職業にあらず。あたかもかの士官が兵士を指揮するがごとく、かの不慈悲にして残忍なる官吏は鉄鞭《てつべん》を揮い、これを苛責《かしゃく》し、これを強迫し、なんの容赦かこれあらん。なんの会釈かこれあらん。いわゆる苛政《かせい》虎よりも猛《たけ》しとは実にこの時代のありさまならん。しかしてかの無邪気にして質朴なる農夫らはそもそもいかなる感触を有したるか。東洋の詩人歌って曰く、「麦は収まって場に上り絹は軸にあり。まさに知る官家に輸しえて足るを。望まずして口に入れまた身に上る。かつ城に向かって黄犢《こうとく》を売るを免る。田家衣食厚薄なし。県門を見ず身はすなわち楽」と。その情かくのごとし。あにまた憐れむべきにあらずや。かつ商業のごときも決して純然たる商業行なわるるあたわざるなり。かのミル氏は曰く、
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およそかくのごとき社会においてはただ二種の商人あり。曰く穀物の用達《ようたし》、曰く貨幣の用達これなり。穀物の用達なるものはただちに生産者より穀物を購買せず、政府の代官よりこれを購買す。けだし代官なるものはその租税をば作物によりて取り立て、しかしてこれを首府、すなわち帝王、文武の官吏、兵士およびこれらの人々の需用を給する工人の集まるところの首府に運送するの務めをば好んで他人に依頼するものなり。貨幣用達なるものは不幸なる農夫が天災によりもしくは苛税により、切迫に瀕するときにその生活を有《たも》ち、その耕作を継続させんがために金を貸し付け、次の収穫において高利をもってこれを払わしめ、あるいは大仕掛において政府にもしくは政府の歳入の一部を有するところの人々に貸し付け、政府の収税官によりてこれを保証し、もしくはある土地をばその抵当に取り、もってみずからその土地より産するところの税額をもってこれを払わしむ。かくのごときことをなさんとするにはこの用達はその抵当を有する間、その返済の仕払い了《おわ》る間、その地方において政府の権力の大なる部分をばみずから握りこれを揮うことを得るなり。かくのごとくこれらの商人は重に政府の歳入なる一国の産物の部分においてその地位を有つものなり。政府の歳入よりして彼らの資本は利潤をもって期限に従い出入し、しかしてその歳入こそ彼らが固有の元資の泉源にてありつるものなり。
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 実にこの言たるや、わが封建時代の商業世界の実相を描写しえて妙なりというべし。試みに見よ。江戸大阪の繁栄したるはなにゆえぞや。しかしてその重なる繁栄の分子は何人ぞや。いやしくもこれを思いこれを想えば必ず余師あらん。それ商業もまた軍務の一部なり。商人もまた官吏の一人なり。このときにおいていずくんぞ専売特許の弊習行なわれざるを得んや。吾人かつて『貿易備考』を閲するに、わが封建の商業世界は実に専売特許の世界なりしを知るなり。見よかの問屋なるものは政府と特別の条約を結び、その冥加金《みょうがきん》なるものを上納し、その株式なるものを得、もって公開競争の道を絶ち、もってその専門商業の利益を壟断《ろうだん》したるにあらずや。
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〔註〕 ことにかの江戸においては十組《とくみ》問屋あり。ようやく専売の特例を得、ついで菱垣廻船《ひしがきかいせん》積荷仲間と連合し、さらに仲間株式を定め現在の惣員《そういん》一九九五名に株札を付与し、定員のほかに新たに加入するを許さず。もし組合中破産廃業の者あるときは組合の者その株式を保管し、適当の者を選んでこれが嗣《し》となし、もってその欠を補わしむ。しかしてその問屋にあらざる者は産地より直買するを禁じ、その業を保護す。その冥加金額は旧制により変更するところなし。ここにおいてさらに六十五組の新連合を団結し、菱垣廻船積荷仲間と称《とな》う。〔『貿易備考』〕
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 見よその規律節制の周到厳密なるはいかなる独仏の常備軍もこれには三舎を避くるなるべし。
 すでにかくのごとし。あにそれ富の進歩を望むを得んや。吾人はまたここに観察すべきことあり。かの封建時代においてなにゆえに遺伝血統を尊び、門閥を重んじたるか。けだし軍隊組織においてやむべからざるものあればなり。それ軍隊組織は強迫の組織なり。勇者ひとり進むを得ず、怯者ひとり退くを得ざればなり。かの結合は圧制の結合なり。知者その知を伸ぶることを得ず、愚者その愚を現わすことを得ざるなり。実に軍隊の組織に知愚なく勇怯なし。知勇、知勇なるあたわず。愚怯《ぐきょう》、愚怯なるあたわず。ただ一切一様一定の規律のもとに運動せざるべからざるなり。ゆえに愚者なりといえどもその職にある久しきものはもって知者を支配すべし。知者なりといえどもその職にある久しからざるものはもって愚者に支配せらるべし。軍隊世界の進路なるものは「ただ先着」の一あるのみ。我、彼より立つのちなればいかに我は健奔快飛《けんぽんかいひ》するも決して彼に追い及ぶことあたわざるなり。いわんやこれを凌駕《りょうが》するにおいてをや。もし今日各国陸海軍の軍制を一覧せばもってわが封建時代世襲の行なわれたる真理を知るべし。なんとなればかの陸海軍の制はその先着の勢力をばその人一世一代に限りあるいはその孤子寡婦〔すなわち爵位・勲章・年金〕に限ることあるもわが封建社会はこれを拡げてその末世末代までも及ぼしたるものなればなり。徳川治世の貴族はその先祖を尋ぬればその人民に功徳あるや否やは吾人が決して保証せざるところなれども、その元亀天正群雄鹿を逐うのときにおいて多く徒賤より起こり、手に唾《つば》して州郡を横領したる人々なれば知勇抜群なることはもとより吾人が承認するところなり。しかしてその子孫たる人々はなんの功徳ありてなんの才知ありて、かくのごとく数多《あまた》の才俊豪傑をして餓吻《がふん》を鳴らさしめ、数多の憂世慨時の人物をば草莽《そうもう》に蟄伏《ちっぷく》せしめ、その領内の百姓の肝脳をば絞りたるか。すなわちなにゆえなれば他人の血と涙とをもって自家の愉快に供したるか。ただ先着の一あるのみ。すなわちその父祖の余沢あるがゆえなり。いかなる財産家の子孫といえどもその人にして不肖ならばもって一の窮民となるべし。しかれども封建君主はいかに不肖なりといえども、いかに懦弱《だじゃく》なりといえども、いかに狂暴|放奢《ほうしゃ》なりといえども、決して窮民となることあたわざるなり。しかしてかの封建の人民はいかに雄才|豪邁《ごうまい》の人物といえどもほとんど青雲の道は遮断せられたり。いわゆる天上天下千万里、もって上らんと欲して上るあたわず、下らんと欲して下るあたわざるはなんぞや。これただ軍隊組織の精神をもってこれを維持したればなり。実に武備社会の末路においてその特性なる美風善俗は跡を絶つべしといえども、その固有なる悪習毒気は増長するあるも決して減少することあたわざるなり。いかなる時代においても軍隊社会の存せん限り、あるいはその世界の表面より飛び去りたるのちにおいてもいつまでもその禍は存するものなり。
 すでにかの血統門閥を重んずることかくのごとし。しからばすなわち封建社会の境遇は造化力人為を仮りて奇戯を演ずるの舞台なりというもまたなんぞ不可あらんや。見よ当時においては医者にして診を察し匙を取ることあたわざる者あり。撃剣の師範にして竹刀を揮うあたわざる者あり。教授にして句読を知らざるものあり。祐筆にして紙面を書くあたわず、画師にして絵具を用うることあたわざる者あり。あるいは加減乗除を知らざる算術家あり。あるいは権衡度量の目を知らざる商人あり。監察をなさざる監察あり。取締りをなさざる取締あり。勘定を知らざる勘定方あり。奉行《ぶぎょう》をなさざる奉行あり。すでにかくのごとし。いずくんぞひとり十六の元老、八歳の征夷大将軍《せいいたいしょうぐん》あるをこれ怪しまんや。
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〔註〕 太宰《だざい》氏の『経済録』政篇に曰く。日本においては諸道の学者技芸まで多くは専門にてその家を世々にし、国家に仕えてその禄俸を世々にす。ゆえに芸術ようやく拙《つたな》くなりて堪能なるもの出で来たることまれなり。また事によってその業も賤しくなり、士人はあえて学ばぬもあり。これ専門の失なり。専門とは一家を立てその業を伝うることなり。
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 かくのごとき遺伝世襲の弊習はこれを封建武士の一部のみならず、その付属たる全隅にまでこれを及ぼし、ついにこれがために奇々怪々、表裏反覆・名実相違の現象を生出したり。けだしその中央の部分に行なわるるものは何事もこれをその四隅に推し及ぼすは自然の理にして吾人は決してこれを怪しまざるなり。
 さればかの封建の社会はその有形の現象においてするのみならず、また無形の現象に向かってその真面目を発露せり。試みに見よ封建社会の道徳なるものは天真|爛漫《らんまん》、自然のうちに修養あり、自由のうちに規法ある、愛すべき親しむべきものにあらず。かえってただ式に拘泥《こうでい》したる死物の道徳にあらずや。それかの今日に存在する浄瑠璃《じょうるり》院本《まるほん》なるものは実に封建思想の産物にして実にその真相を描《うつ》し出だしたる明鏡なり。
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〔註〕 これかか様、士《さむらい》の子という者は、ひもじい目をするが忠義じゃ。またたべるときには毒でもなんとも思わず食うものじゃと、言わしゃったゆえ、わしはいつまでも堪《こら》えている。そのかわり忠義をしてしもうたら、早くままを食わしてや。それまでは明日《あす》までも、いつまでも、こうきっと居てお膝《ひざ》へ手をついて待っております。お腹《なか》がすいてもひもじゅうはないなんともないと。皺面《じゅうめん》つくり涙は出れど、稚気《おさなぎ》に讃《ほ》められたさがいっぱいに、こちゃ泣きはせぬわいと額を撫《な》でて泣顔を、隠す心はさすがにも名に負う武士の種なりき。〔伽羅千代萩《めいぼくせんだいはぎ》〕
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 切腹して君に殉ずる忠臣あり。身を売りて父母を養う孝子あり。利に営々たる商人にして利を好まざるものあり。名に汲々《きゅうきゅう》たる君子にして名を欲せざるものあり。実に封建の道徳世界なるものは牛鬼蛇神、ほとんど吾人が想像しあたわざるものなり。しかれどもこれあにやむをえんや。軍隊組織においては決して避くべからざる結果なり。それ軍隊組織の元気はただ従順なり。従順の極はその自然の反動作用を牽制して人為の作用をなすにあり。もし起たんと欲するときに起ち、坐せんと欲するときに坐し、言わんと欲するときに言い、黙せんと欲するときに黙し、苦痛を苦痛としてこれを避け、快楽を快楽としてこれに就かば、あにまた軍隊の組織なるもの行なわれんや。ゆえにいやしくもこれを行なわんとせば、苦痛を快楽とし、快楽を苦痛とし、毒を薬となし、苦を甘しとなさざるべからず。
 封建社会には一個の人民なし。すなわち人民のために設けたる社会にあらずして社会のために否むしろ領主およびその臣族たる武士のために設けられたる人民なり。人民を保護せんがために官吏あるにあらず。官吏に奉ぜんがために人民あるなり。すでに人民なし。いずくんぞ人民の事業あらん。すでに事業なし。人民にしていかにその驥足《きそく》を伸ばさんとするもあにそれ得べけんや。ゆえに政府のほかに力を致すの余地は寸毫《すんごう》も存せざるなり。しからばすなわち善人も、悪人も、賢者も、愚者も、その治国平天下の経綸ある人も、その巧言令色の人も、いやしくも有為の志あるものはいずくんぞその眼孔を官途の一辺に注がざるを得んや。それ封建社会において官途の価値ある決して怪しむに足らず。なんとなればこの途上を奔らずんばいかなる俊傑といえどもただ草木と同じく朽ち果つべければなり。しかしてこの途上に入らんとするはなお駱駝《らくだ》が針孔に入らんとするよりも難し。あに憐れむべきにあらずや。
 これを要すれば封建社会においては、上、征夷大将軍より、下、庄屋に至るまで、みな一様に上に向かっては無限の奴隷にして下に向かってはみな無限の主人なり。しかるがゆえに社会の位置なるものは唯一の鉛直線にして、何人といえども、何時といえども、決して同地位に立つことを許さず。いかなる場合においてもその関係はみな上下の関係なり。これあに軍制の組織においてやむべからざるものにあらずや。いやしくも兵卒をして下士官と同列ならしめ下士をして上士と同列たらしめ、上士をして佐官将官と同列たらしめば一日といえども軍隊組織なるもの行なわるるを得んや。しかしてわが封建社会においてはこの軍律をば全体の関係に推し及ぼし、すなわち父子の関係もこれをもってし、夫婦の関係をもこれをもってし、兄弟の関係をもこれをもってし、朋友の関係をもこれをもってし、その巍々《ぎぎ》たる政事軍務等のごときはもちろん、隣里郷党・交際・冠婚・葬祭・花見・遊山等の細事に至るまでみな一様不変の軍律をもってこれを支配せり。これあに不平等のもっともはなはだしきものにあらずや。けだしいかなる立法者といえどもかかる偏屈不都合を生ぜんとは夢にだも想わざりしことならん。しかれどもこれあに避くべき結果ならんや。その父仇を報ゆればその子は劫《ごう》を行なう。これあにやむをえんや。
 世の軍隊政事の可否を知らんと欲する人は、願わくはわが封建社会を見よ。この社会こそ実に武備機関の遺憾なく、完全に発達したるものなるぞ。いやしくもこれを公平に観察せばもってその利益を見るべく、またもってその禍害を察すべし。ああわが封建社会は吾人の父祖がその苦痛と怨恨とをもって吾人に向かって軍隊政治の利害を判ぜしむる一の鉄案なり。吾人あに軽々看過して可ならんや。

 

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