第十二回 過去の日本 一
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第十二回 過去の日本 一(第四 わが邦現今の形勢より論ず)
 わが邦の少年学生はその講堂において教師よりスパルタの話を聞き、その一種、奇妙奇怪なる国風なるを見てあいともに驚嘆、舌を捲けども、知らずや吾人が父祖の日本はスパルタのごとくまたスパルタよりも一層|緻密《ちみつ》周到に軍隊組織の行き届きたる一の武備社会なりしことを。
 今や吾人は現今わが邦の形勢を論ぜんとするに際し、吾人はまずこの父祖の社会に関し一瞥《いちべつ》の労を取らざるべからず。
 わが封建社会の前にかかる封建社会なし。わが封建社会ののちにかかる封建社会あるべからず。実に吾人が父祖の社会は宇宙の年代において空前絶後の現象といわざるべからず。なんとなれば徹頭徹尾、社会の生命元気なるものは唯一の武力にして、普天の下、率土《そっと》の浜、およそわが社会の空気の触るるところ、勢力の感ずるところ、この精神充満し、あたかも今日の常備軍制をば全国人民に推し及ぼし、今日の常備兵営をば全国に拡充したればなり。実に当時のありさまはただかくのごとし。曰く全国みな兵営なり。全国人民みな兵士なり、兵士の使役に供する夫卒なり。吾人は少しく事実に関して観察するところあらん。けだし当時の武士なるものはすなわち今日のいわゆる常備兵にしてその相異なる点はこれはある期限中ただみずから兵士の義務を負担するものなれども、彼はその生まれてより死するまで、その一家主人より家族に及ぶまで、その先祖より子孫に及ぶまで、兵士の義務を負担するものなり。しからばすなわち怪しむなかれ、当時の武士が坐作《ざさ》進退に双刀を横たえたるはこれ今日の常備兵が銃を肩にし、剣を腰にするものなり。その幼少より老大に至るまで、武芸に従事したるはこれ今日の常備兵が操練演習に従事するものなり。その旅行の自由を有せず、ただある免許を得てある期限に近国を往来するは、なお今日の常備兵が水曜・日曜の休暇にその門限中兵営の外に行歩するを得るがごとし。その家にありて行儀正しく武器を装うたるは、なお今日の常備兵が営中にあるがごとし。その城楼の太鼓を聴き、起臥進退したるは、なお今日の常備兵がラッパの合図によりて、起臥進退するがごとし。彼らが武芸の目録を得るあたわずして家名断絶するはなお今日徴兵の募集にその体格不完全にしてその選にあずかることを得ざるがごとし。足軽より家老に及び、家老より城主に及び、城主より征夷大将軍《せいいたいしょうぐん》に上りたるはなお今日において兵卒より下士・上士・佐官・将官に上るなり。しかりしこうしてこの全国に充満したるの武士、および武士を統制する高等なる武士〔封建諸侯のごとき〕はいかにして生活したるか。彼らは一日といえども鋤《すき》を手にしたることあらざるなり。一日といえども、算盤《そろばん》を握りしことあらざるなり。しかして彼らはいかにしてその愉快なる生活をなすを得たるか。必ず他に輜重部《しちょうぶ》の存するものあるを見ん。実に当時の農工商はみなこれこの武士と高等なる武士に供給奉仕せんがために生存するところの輜重部にてありしなり。それ今日においても常備兵なるものはみずから労作するものにあらず。すべてみな全国人民より養わるるものなり。しかしてその今日と封建時代とその趣を異にするゆえんのものは他なし。今日の常備軍は人民を保護し、人民の生産を保護せんがために存在すれども、昔時の人民はこの武士、および高等なる武士を奉養せんがために存在したりしなり。かくのごとく彼らは唯一の輜重部なり。ゆえにその目的を達せんには彼らの労力ももしくは労力の結果たる財産をも、あるいはその二なき生命をも、これを抛《なげう》ちこれを棄つることに毫《ごう》も猶予せざるなり。いな猶予すること決してあたわざるなり。しかして当時この武士の分配はなお今日において全国に十二旅団あり、六師団あり、これを統制するに一の陸軍本部あるがごとく、これを三百の城下においてし、しかしてこれを江戸に統制したりしなり。ゆえに三百の城下はこれ武士の小団結の地にして、江戸は実にその大団結の地といわざるべからず。かくのごとく武士は高等武士を趁《お》うて集まり、輜重部は武士を趁うて集まり、諸々《もろもろ》の貨物は輜重部を趁うて集まり、ここにおいてか一城下には必ず一の市邑《しゆう》を生じ、しかしてかの全国の大城下なる江戸のごときに至りては今日の東京に比してほとんど※[#「くさかんむり/倍」、第4水準2-86-60]※[#「くさかんむり/徙」、第4水準2-86-65]《ばいし》する繁栄を現じたるもまたゆえなきにあらず。吾人かつて各地に遊びその封建城下なるものを見るに、寂寞《せきばく》たる空壕《くうごう》、破屋、秋草|茫々《ぼうぼう》のうちにおのずから過去社会の遺形を残せり。吾人はその士族が城門を囲んで家し、その商工が士族屋敷を繞《めぐ》りて住するもの多きを見て、いよいよ当時富の求心力なるものはただこの士族に存したるものなるを知るなり。
 かの武士なるものはいかにして富の求心力を有したるか。曰く富の消費者たればなり。いかにしてその消費者たるを得たるか。曰く彼らは人を所有し、あわせて人の所有をも所有するの主人なればなり。ゆえに渠輩《きょはい》は決して市民と交易をなすものにあらず。ただ一方において横領したる富をもって一方の貨物と交換するのみ。実に武備の世界においてはただこの種の交換のみわずかに行なわるべきも、真正の交易なるものは決して行なわるるあたわざるなり。なんとなればその世界には二種の階級ありて一はただ消費者にして一はただ生産者なればなり。消費者は徹頭徹尾、ただ愉快に安楽に貨物を再生の見込みなき地に向かって消費するのみにして、生産者は徹頭徹尾、ただ終生骨を折り、汗を流して生産の業に従事するのみ。ゆえに封建時代の農工商は自家の生活を保たんがために労役するにあらず。他人の驕奢《きょうしゃ》に資せんがために労役するなり。すなわち彼らは生活せんがために労役するにあらず。労役せんがために生活するなり。これをもって一地方の富は城下に集まり、全地方の富は江戸に集まり、社会の富は武士と高等の武士に集まれり。ゆえにこれらの主人の豪華なるはもってその奴隷の貧乏なるを卜《ぼく》すべく、城下の繁栄はもって田舎の衰弊を卜すべく、首府の富栄はもって地方の困窮を卜すべし。
 かくのごとく軍隊組織の社会においては経済上において必ず自然分配の法則を禁遏《きんあつ》して人為分配法を施用せざるべからざるものなり。人為分配法は不平等主義のよって行なわるべき境遇なり。不平等主義ひとたび横行するときにおいては忽然《こつぜん》として貴族的の社会を幻出し、咄々《とつとつ》怪しむべき貴族的の現象を生じ来たるやもとより論をまたず。
 およそ経済世界自然分配の法則に従えば、全国全社会全人民を挙げてみな一の生産者となし、消費者となし、何人にても生産者たるものは必ずまた消費者たるべし、消費者たる者は必ずまた生産者たらざるべからず。しかしてその消費する額の多少は必ずその生産の多少に平均し、すなわち消費すること多きものはまた生産すること多く、生産すること少なき者はまた消費すること少なく、原因結果の関係は至密に行なわれ、その勤勉して富を生ずるものは葡萄の美酒、夜光の杯、花下の銀鞍《ぎんあん》、月前の船、もってその自然の結果たる快楽を買うを得べく、その怠惰にして放逸なるものは悪衣悪食、他人よりは辱《はずか》しめられ、自家には不愉快を感じ、ただまさに終生累々として喪家《そうか》の狗《く》を学ばざるべからず。しかしてたといかくのごとくその懸隔あるももって天を尤《とが》むべからず。もって人を恨むべからず。なんとなれば自家自得みずから種を下してみずからその実を収穫するはこれ自然の約束なればなり。かの人為分配の法なるものはまったくこれに反対し、甲の原因はかえって乙の結果と相連帯し、乙の原因はかえって甲の結果と相付着し、労者はつねに労してかえって逸者の苦痛を収め、逸者はつねに逸してかえって労者の快楽を獲るに至る。これあに不平等主義のもっともはなはだしきものにあらずや。これあに不正義のもっともはなはだしきものにあらずや。これをしも忍ぶべくんば何事をか忍ぶべからざるものあらんや。しかして徳川氏の天下二六〇余年の長久なる歳月において、かの武士はもちろんその被害者たる農工商の人民すら、いまだ一人の正義の回復に向かって天理人道の保護を叫破したるものなきはなんぞや。吾人は実にこれを怪しまざるを得ず。
 すでにかくのごとし。この境遇に生出したるの現象あに尋常普通のものならんや。けだし社会の表面に発表するの現象はその裏面の精神を反射したるものにしてすなわちその鏡なり。さればかのエジプトの巨大なる角石塔、かのシナの万里の長城のごとき、大工事の今日に存生するはこれ上古の二国において貴族社会のもっとも発達したるの証拠にあらずや。なんとなればかくのごとき時代において、かくのごときの国において、かくのごときの大仕懸の工業行なわるるゆえんのものは決して偶然にあらず。ただ百姓の力を罷《つか》らし百姓の財を竭《つく》し、全国人民の肝脳を搾りてもって成就したるものなるを知るべし。実にこの二大工業の大はすなわち大なりといえどもこれただ万古の年代において上古の圧制の流行したるを示すの記念碑たるに過ぎざるなり。およそ一邦の貧富は全国人民を平均したる総称なるものなり。しかしてかの貴族社会は全体よりすれば非常の貧国たるにもかかわらず、その社会の現状はかえって平民的の富国よりも壮麗雄大・光彩|燦爛《さんらん》たるものあるゆえんはなんぞや。ただ全国の富を人為の手段をもって一部に蒐集《しゅうしゅう》したるがゆえなり。すなわちかの貴族が美麗なる衣服を穿《うが》つは全国人民をば裸体となしたればなり。その醇酒《じゅんしゅ》を飲み、梁肉《りょうにく》に飽くは全国人民をば土を食《くら》い、水を飲ましめたればなり。そのおれば嬋娟《せんけん》たる美姫を擁して巍々《ぎぎ》たる楼閣に住し、出ずれば肥馬に跨《またが》り、軽車に駕《が》し、隷従雲のごときは全国人民をして風に櫛《くしけず》り、雨に浴し、父子兄弟妻子をしてあいともに離散し、あいともに溝壑《こうがく》に転ぜしめたればなり。ゆえに貴族世界の第一義は他を損して己れを利するの一点にして、他を泣かしむるは己れ笑わんがためなり。他を顛ぜしむるは己れ舞わんがためなり。他を哭《こく》せしむるは己れ歌わんがためなり。己れ飽かんがためには他の股《こ》を割いて食わざるべからず。己れ淫欲《いんよく》を逞しゅうせんがためには他の子女もしくは妻をも豪奪せざるべからず。己れが奇怒《きど》に触るれば他を斬殺《ざんさつ》せざるべからず。いわんや己れが生命を維持せんがために、もとより他の一命を要求するをこれ遅疑せんや。その生命すらこれを屠《ほふ》り、これを断つ。いわゆる人を斬る草のごとく声を聞かざるのときにおいては正義いずくにある。公道いずくにある。平和いずくにある。権理いずくにある。法律いずくにある。ただ暴逆これ正義なり。偏頗《へんぱ》これ公道なり。争闘これ平和なり。威力これ権理なり。滅法これ法律なり。かかる社会を称して吾人は大野蛮大圧制の社会とはいうなり。しかしてかくのごときはいわゆる武備機関の膨脹したる自然の結果なり。ゆえにこの悪因果を憎んでなお全国をば軍隊組織の社会となさんとするは、これ実に酔えるを悪《にく》んで酒を強《し》うるの類なり。あに謬《あやま》らずや。世人あるいは美術のわが邦に進歩したるを見てわが邦の光栄となすものあり。しかれどもこれあに誇称すべきものならんや。試みに思えわが邦のごとき貧国にしてなにゆえにかかる一国の身代に不釣合なる高尚の美術は生じたるか。ただ貴族的の需要あるがゆえなり。しかしてこの需要なるものはなにゆえに生じたるを得たるか。平民的の困乏あるがゆえなり。それ封建貴族〔ある意味においては〕は無限の富源を有するものなり。その生活の必要には不相応なる富を有するものなり。ゆえにたちまちその需要を生じ、その需要よりして奇妙不可思議なる現象生じ来たれり。すなわち錦緞《きんどん》・綸子《りんす》・綾・錦等の精巧なる織物を製造したるは、これわが邦人民の襤褸《らんる》さえ纏うあたわざるものありたればなり。九谷焼の絢※[#「対のへん+闌」、153-16]《けんらん》たる陶器を製造したるは、これわが人民の貧乏徳利をも有するあたわざるものありたればなり。梨子地金蒔絵《なしじきんまきえ》・漆器等を製造したるは、これわが人民の破れたる膳椀をも有せざるものありたればなり。幽禅染《ゆうぜんぞめ》もしくは繍箔《ぬいはく》の製造せられたるは、これわが人民が紅花《べにはな》染の綿衣すら着くるあたわざるものありたればなり。金銀・赤銅・象牙《ぞうげ》等の奇創《きそう》緻密《ちみつ》の細工行なわれたるは、わが人民が鍋釜さえも有せず、歯牙をもって庖刀に代え、手指をもって箸に代え、月光をもって燈火に代うるものありたればなり。かの日光の廟《びょう》の壮厳雄麗、金碧《こんぺき》目を眩《くら》まし、今日に及んでなお世界万邦の艶羨《えんせん》喝采《かっさい》を博するゆえんのものは、これわが人民が一抔《いっぽう》の墓田をも有せず、三尺の石塔をも有せず、亡親の菩提《ぼだい》すら弔うあたわざるものありたればなり。はたしてしからばこれらの美術品は実にわが封建人民の苦痛と怨恨《えんこん》とをその子孫たる吾人に説明し、かつこれを記憶せしむるの保証者といわざるべからず。そのよりて生じたるゆえんを考うることなく、ただ漫然として自得するはこれあに祖父の心を知るものならんや。むしろ識者の嗤《わらい》を招くことなからんや。
 およそ戦国の時代において剛猛簡朴《ごうもうかんぼく》死を畏《おそ》れざるもの三河武士の右に出ずるものあらず。白刃も踏むべし。水火も侵かすべし。かのクロムウェルが三千の鉄騎もあに容易に独歩するを得んや。しかりしこうしてこの三河武士なるものは封建の治世においてはいかなる変相を呈したるか。吾人は寛政時代の賢相松平越中守が旗本《はたもと》八万の士に向かって厳論したるの文を読み実に慨嘆に堪えざるものあり。
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めいめいの先祖たるものは多くは東照宮へ仕え奉り数度の戦場に身を砕き骨を粉にして相働きその勲功により知行《ちぎょう》あてがわれ候間、今に至ってその身その身安楽に妻子を扶助し、諸人に御旗本と敬われ候これみな先祖の勲功によるところなり。しかるところその先祖の恩を忘れてあてがわれたる知行を自身の物と心得、百姓を虐《しいた》げいささか撫恵《ぶけい》の心なくややもすれば課役を申しつけなど致し候輩これみな心正しからず。不行跡というは若年より不学にして何事をも弁《わきま》えず育ち候よりのことに候。……たとえば楽しみと致す古来よりのものとして和歌を詠じ、蹴鞠《けまり》・茶道・あるいは連歌《れんが》・俳諧《はいかい》・碁・将棋《しょうぎ》等の遊び業これあるところ、今にては御旗本に似合わざる三味線《さみせん》・浄瑠璃《じょうるり》をかたりこうじては川原ものの真似を致す族《やから》も間々これある由、これみな本妻というもののなく召仕《めしつかえ》の女にて家内を治むるゆえ軽々しく相成り、不相応なる者を奥深く出入りを免《ゆる》し不取締りにて候。その身恥を思わずわがままなる行跡に成り行き候ままにおいておのずから勝手不如意に相成りて嗜《たしな》むべき武具をも嗜まず、益もなき金銀を費やし、これを償わんため多くは筋目なきものの子を金銀の持参にめでて貰い、軽き者の子も縁金《えんがね》によって養女とし、娘と致すより事起こり自然と家内を取り乱し候。天和《てんな》の制法にありて養子は同姓より致すとあるも筋目を糺《ただ》すべき制法につき某《なにがし》殿寄《どのより》には以後養子を致すとも娘取り致すとも縁金と申すことを停止《ちょうじ》せしめ、姓を糺し婚姻すべき時節を延ばさず取り結ぶべきことに候。不勝手なる族《ともがら》片づき候に金銀の用意これなく自然と時節を送り候ときは男女の道おのずから正しからざることに至り候。ここを深く相考うべきこと頭《かしら》たる者よくよく心をつけもはや縁辺願い出で候節|吟味《ぎんみ》を遂ぐべきことに候。婚礼の時節はずれ候につき年若き面々遊所に入り込み不相応の遊び事を致し風俗乱れ、衣服等につき候紋を略し夜行のとき提灯《ちょうちん》の印を替え云々。
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 それ衰勢ここに至る、いかにかの賢相が苦心もって祖宗の天下に回復せんと欲するも豈《あに》また得べけんや。けだし軍隊組織の制度は決して永久にその武士の活溌質朴なる本来の真面目を維持するあたわざるものなり。見よその先祖は赤手を揮うて四海を圧倒したるローマ人も、その子孫に至ればたちまち北狄《ほくてき》蛮人の鉄蹄《てってい》に蹂躙《じゅうりん》せられたるにあらずや。吾人は決してかかる現象の武備社会に生出し来たるをもって毫も怪しむべからざるのこととなすなり。なんとなればその武士なるものはいわゆる人民の租を食《くら》い、税を衣《き》るものなり。いかに驕奢《きょうしゃ》を事とするも我において損することはあらざるなり。玉杯を作るも可なり。象箸《ぞうちょ》を作るも可なり。銀橋はもって池水に架すべく、白砂糖はもって仮山の白雪を装うべし。それ我に悪因を結べば善果来たり、我に善因を結べば悪果来たる。鈎《こう》を窃《ぬす》む者は誅《ちゅう》、国を窃む者は侯、侯の門仁義存す。いかにその食は一|羹《こう》一菜に限り、その服は綿衣に限るもその結果はただ生活の不愉快を感ずるのみ。その倹約我においてなんの利益かある。いかに酒池肉林・流連荒亡の楽しみをなすもただ生活の愉快を感ずるのみ。その驕奢我においてなんの損害かある。それ一方においては無限の権利者たらしめ、一方においては無限の義務者たらしめ、しかしてその主人に責むるにその奴隷を善待すべきをもってす。あにまた愚ならずや。けだしかの武士もしくは高等の武士は無限の権威を有する無責任の皇帝なり。これを取りて尽きず、これを汲んで涸《か》れざるの財源を有するものなり。たとい涸るることあるも自家には決して痛痒《つうよう》なき財源を有するものなり。すでにこれを有す。あにいずくんぞこれを※[#「酉+斗」、第4水準2-90-33]《く》むに遅疑せんや。ゆえに吾人は断言す。かの武備の社会なるものは必ずその武士をしてその主人をして驕奢に導くものなり。文弱に導くものなり。なんとなれば彼らは自家の労力によりて生活するものにあらざればなり。彼らはその生活の必要よりもたくさんなる富を有するものなり。彼らはその富を有しこれを消費するの道に苦しむものなり。いずくんぞその間において不自然なる需用を生ぜざることあたわんや。一方において生活に必要ならざる富を有するときには、必ず一方においてはこれに奉ぜんがために生活に必要なる富すら有せざるものあるはもとより論をまたず。一方において不自然なる需用を生ずるときには一方においてこれに供せんために不自然なる供給を生ずるはもとより論をまたず。田口卯吉氏はその『日本開化の性質』の小冊子において深切にこの道理を説明せり。吾人は試みにその一節を左に掲ぐべし。
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かくのごとく人民の頭上に累積せる諸侯大夫に至りてはまったくこれに異なり、彼らは労作して産を得るにあらざるなり。まったく、人民の労作したるものをその有となしたるなり。彼らは一妻をもって足れりとせざるなり。ここにおいてかさらに妾《しょう》を求む。もし社会の人みな富人ならんにはその求めに応ずるものなかるべし。しかれども彼らのためにその産物を供したる人民はすなわち貧困に陥るがためにその妾を求むるに及びてや喜びてその子女を供するものあり。ゆえにすなわち社会に妾といえるものあり。彼妾を得てなお足れりとせざるなり。ゆえに出でて娼家に遊ぶ。社会の人彼らのために、貧しき者その子女を鬻《ひさ》ぎてもって娼となす。ゆえにすなわち社会に娼といえるものあり。すでに娼あるももってその楽しみを満たすに足らず。ここにおいてさらに絃妓《げんぎ》を求む。社会に貧者ありその子女をもって絃妓となす。ゆえにすなわち絃妓といえる者社会に出ずるあり。すでに絃妓あり。なおいまだその欲を満たすに足らず。ここにおいてかさらに幇間《ほうかん》を求む。社会の貧困なるもの盗賊乞食なおかつこれを甘んず。しかるをいわんや幇間をや。ここにおいてか社会に幇間といえる者あり。ゆえに以上のごとき変相を社会に発したるものはみな貴族的の需要の致すところなり。
[#ここで字下げ終わり]
 それ円石を険涯より転じ、積水を絶壁より決す。いかに孟賁烏獲《もうほんうかく》の腕力に富むもその勢いを制するを得んや。ローマ社会の文弱に趨《おもむ》くや、いかに老カトーがこれを怒罵《どば》し、これを叱咤《しった》し、その鉄鞭《てつべん》を飛ばすもこれをいかんせんや。徳川社会の驕奢《きょうしゃ》に流るるや、いかに松平越中守・水野越前守ありてその憤涙《ふんるい》を揮い、苦慮痛心するもそれはたこれをいかんせん。けだし、かくのごとく嘆息すべき現象を生ずるは富の分配においてその道を得ざればなり。富の分配においてその道を得ざるは、社会の組織においてその道を得ざればなり。実に因果の大法則なるものは人力にてこれを駐止せんとするも決して及ぶべきにあらず。世の政治家たるものはいずくんぞその本《もと》に反らざる。いずくんぞその本に反らざる。

 

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