第十六回 将来の日本(結論)
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第十六回 将来の日本(結論)
 ああ吾人がわが将来の日本を論ぜんとするはあにまたやむをえんや。吾人は実に現今のわが社会のありさまを観察してこれを論ずるのやむべからざるを感ずるなり。それ日本の将来はいかん。いかになるべきか。いかになさざるべからざるか。吾人はわが将来の日本はもとより多事なりといえども、その第一急務は一国の生活を維持するにあることを陳じたり。しかしてその生活の手段は多端なりといえども、要するに武備生産の二主義にあることを陳じ、しかしてその手段の相違は一国の気風・品格・制度・文物・政治・経済・教育・文明等に大関係あるものなることを陳じたり。ここにおいてか吾人は一歩を進み、わが邦の生活はなんの主義をもって維持すべきかの問題を解説せんと欲し、あえてこれを速了臆断に付せず、まずこれを世界の境遇に質《ただ》したり。しかして世界の境遇は実に生産的の境遇なることを発明せり。ついでこれを天下の大勢に質したるに、天下の大勢は実に平民主義の大勢なることを発明せり。吾人はさらに眼孔をわが邦の一局部に転じて観察したるに実にわが邦現今の境遇はもっとも生産的の境遇に適し、わが邦現今の形勢はもっとも平民主義の大勢なることを発明せり。すなわちわが邦現今の状勢はこれらの境遇勢力の重囲のうちに陥りたることを発明せり。吾人がわが邦の将来を卜するの材料はすでにようやく完備し、しかして吾人がこの材料を綜索《そうさく》考究《こうきゅう》したるはもっとも公明正大なるを信ず。しからばすなわち吾人はこの材料によりて、ただちにわが邦の将来を卜するの決して妄想迷説たらざることを信ずるなり。
 それしかり、わが邦の将来はいかになるべきか。吾人はこれを断言す。生産国となるべし、生産機関の発達する必然の理に従い、自然の結果によりて平民社会となるべしと。吾人はたといわが人民が一挙手・一投足の労を取らざるも、現今の洪水はわが邦を駆りてここに赴かしむべしと信ずるなり。またたとい剣を挺《てい》し、戈《ほこ》を揮うてこれに抗敵するも、また必ず現今の洪水は一層の猛勢を激してここに赴かしむべしと信ずるなり。けだし自然の勢いには適もなく、莫もなく、いかなる忠実なる味方も、執着なる敵讐《てきしゅう》も、みなその蕩々《とうとう》たる大翼の中に籠絡し、みなこれをその目的を達する一の利器となすものなり。それ英国の革命を激成したるものいずくんぞひとりミルトン、ハンプデン、ピム輩のみならんや。かのチャールス王彼自身こそそのもっとも張本人なるべし。維新の改革を煽動したるものいずくんぞひとり佐久間・吉田・西郷輩のみならんや。かの井伊大老のごときも、また一の発起者といわざるべからず。これを助くるももってこの勢いのために制せられてその利器となり、これに抗するももってこの勢いのために制せられてその利器とならざるべからず。すでに人力のもっていかんともなすべからざるを知らば、むしろこれをいかんともなさざるの優《まさ》れるにしかざるなり。
 しからばすなわちわが将来の日本なるものはいかになさざるべからざるか。この自然の大勢に従い、これを利導するにあるのみ。故人曰く「達人よく明了。すべて天地の勢に順《したが》う」と。実にしかり。ただこの天地の勢いに順うにあるなり。
 吾人はもとより草莽《そうもう》の一書生にして天下何人に向かってもなんの求むるところなく、なんの不平のこともあらず。なにを苦しんでかみずから好んで悲壮慷慨、洛陽の少年を学ぶを要せんや。吾人はもとより滔々たる天下とともに諸公を趁《お》うて中興の天地を頌歌《しょうか》し、その恩沢に浴するの便宜なるを知らざるにあらず。朝変暮改、雲の漂うがごとく、風の来たるがごとく、ただ世情に媚《こ》び世論に雷同するの安逸なるを知らざるにあらず。剣によって千里を横行し、その主義の邪正を問わず、その手段の善悪を論ぜず、ただ行険の事業をなすの快活なるを知らざるにあらず。吾人は実に世に容れられんと欲せば、他人の思うごとく思い、他人の言うごとく言い、他人の行なうごとく行なうの得策たるを知らざるにあらざれども、ただいかんせん、吾人は天を欺き、人を欺き、かつ自個を欺くあたわざるをいかんせん。たとい吾人にしてみずから欺かんと欲するもかの愛国義胆なる吾人が先輩に対してむしろ内心に恥ずることなからんや。これ吾人が今日において不肖を顧みず、戟《げき》を抜き、隊を成し、区々の意見を陳述せんと欲するゆえんなり。かのブライト氏は曰く、
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余はこれを信ず。いやしくも徳義の基礎によりて立つにあらざるよりは国民の永久不滅なる隆盛繁栄は決して望むべからざることを。余は武力の雄大なると、武備の赫々たるとに向かってさらに意を注ぐことなし。ただ余が意を注ぎ造次顛沛《ぞうじてんぱい》もつねに忘るるあたわざるものは余とともに生活する人民の境遇これなり。おもうに大英国において何人といえども、いまだ余がごとく帝冠および王政をば不敬の語をもってこれを語ることを欲せざるものあらざるべし。しかれどもいやしくも人民多数の愉快・満足・幸福の公平なる分配あらずんばかの金冕《きんべん》・鉄冠・天蓋《てんがい》・勲章の燦爛《さんらん》たるも、武備の絢美《けんび》なるも、広大なる植民地も、雄巨なる帝国も、余の眼中にはなお一毫毛《いちごうもう》にも過ぎざるなり。宮殿・楼閣・城砦《じょうさい》・公堂・会館の巍々《ぎぎ》たるも、これをもって国民とはなさざるなり。けだし国民なるものは、いかなる国においても茅屋のうちに住するものなり。ゆえにもし汝の憲法の恩光はこの茅屋のうちに輝き、汝の立法の美、汝の政略の卓絶なるはこの茅屋のうちに住する人民の感情と境遇、すなわち汝がつねに政府の職分を尽くさんがためにつねにこれを手本として学ばざるべからざるところの人民の感情と境遇に適中するにあらざるよりは、実に一毫毛にも過ぎざるなり。
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 吾人が心事《しんじ》実にかくのごとし。吾人はわが皇室の尊栄と安寧とを保ちたまわんことを欲し、わが国家の隆盛ならんことを欲し、わが政府の鞏保《きょうほ》ならんことを欲するものなり。これを欲するの至情に至りてはあえて天下人士ののちにあらざることを信ず。しかれども国民なるものは実に茅屋のうちに住するものに存し、もしこの国民にして安寧と自由と幸福を得ざるときにおいては国家は一日も存在するあたわざるを信ずるなり。しかしてわが茅屋のうちに住する人民をしてこの恩沢に浴せしむるは実にわが社会をして生産的の社会たらしめ、その必然の結果たる平民的の社会たらしむるにあることを信ずるなり。すなわちわが邦をして平和主義を採りもって商業国たらしめ平民国たらしむるは実にわが国家の生活を保ち、皇室の尊栄も、国家の威勢も、政府の鞏固も、もって遙々たる将来に維持するのもっとも善き手段にして国家将来の大経綸なるものは、ただこの一手段を実践するにあるを信ずるなり。余はすでにこれを信ず。あに黙々たるを得んや。たとい世の吾人を誣《し》いて吾人を罪せんと欲するも、余は甘んじてその誣うるに任せ、その罪するに任ずるなり。なんとなれば吾人が心事は※[#「激」の「さんずい」に代えて「白」、第3水準1-88-68]《きょう》として白日のごとく、早晩必ず天下に表白するの時節あるを信ずればなり。ただ吾人はこれを恐る。もしわが国人にして天下の大勢に従うことを遅疑せばかの碧眼紅髯《へきがんこうぜん》の人種は波濤のごとくわが邦に侵入し、ついにわが邦人を海島に駆逐し吾人が故郷にはアリアン人種の赫々たる一大商業国の平民社会を見るに至らんことを。いやしくもこれを恐れば願わくは神速雄断、維新大改革の猛勢をば百尺竿頭の外に一転せよ。吾人もし泰西人のなすところをなすあたわずんばかの泰西人は吾人に代わりてそのなすところをなざんと欲す。このときに及んで苦言痛語の洛陽少年を追想するもあにまた晩《おそ》からずや。

 

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