第一回 洪水の後には洪水あり(緒論)
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第一回 洪水の後には洪水あり(緒論)
 朕《ちん》が後には洪水あらんとは、これルイ十五世が死になんなんとして仏国の将来を予言したるの哀辞なり。今や洪水の時代はすでにわが邦に来たり、吾人《ごじん》また波瀾層々のうちに立てり。もし人あり、吾人に向かってわが邦の将来を問うも、吾人はさらにいかなる言を発して、もってこれに答うべきか。
 人のつねに知らんと欲するところのもの、将来よりはなはだしきものはあらざるべし。しかしてことにわが日本の将来よりはなはだしきものはあらず。なんとなれば現今のいわゆる日本なるものは、ノアの児孫が芳草萋々《ほうそうせいせい》たるバベルの原野において天に達せんとするの石塔を築かんと企てたる上古の文明より、北狄《ほくてき》蛮人の継続者が鉄と電気とをもってほとんど地球上の表面を一新する近時の文明に至るまで、およそ人類の記憶に存する時代の歴史をもってこれと比較せんと欲するも、ほとんどその比類を尋ぬるに苦しむほどなる一種奇々怪々喜ぶべく驚くべきの時代なればなり。
 それ変化なるものは万有の大法大則なれば、わが邦にして昔時《せきじ》の面目を一変したりとて、さまで訝《いぶか》るべきことにはあらざれども、その変化のあまりに快活にしてかつその方向の意外なる針路に向かって奔《はし》りたるの一点に関しては、何人といえども一驚を喫せざる者はあらざるべし。かのドレーパー氏のごときは情けなくも、東洋文明の命運は唯一の墳墓あるのみと放言したれども、わが邦の文明は三十年前気息|奄々《えんえん》として前途はなはだ覚束《おぼつか》なきの旅行をなしたるにもかかわらず、不思議なるかな、電光石火にその方向を一変し、その針路を一転し、さらに快活なる意気をもって泰西《たいせい》文明の蹤《あと》を追走し、もってこれと競争せんと欲するがごときの形勢を現出したるは、吾人がかつ訝りかつ祝するゆえんにして、かの欧米人士の注意を惹起《じゃっき》するに至りたるも、もとよりゆえなきにあらず。もし試みに徳川将軍|家斉《いえなり》公全盛のときに死したる江戸の市民をば、今、墓中より呼び起こし、銀座頭街の中央に立たしめよ。その街傍に排列するの家屋、その店頭に陳列する貨物、その街上を往来するもの、その相話し、相談ずるものにつき、これを見せしめよ。彼らはいかにしても、これをもって彼らのいわゆる江戸ならんとは夢にだも解するあたわず。あたかもかの夢想兵衛が飄飄然《ひょうひょうぜん》として紙鳶《たこ》にまたがり、天外万里|無何有《むかう》の郷に漂着したるの想いをなすならん。
 けだし今日の変化は退歩の変化にあらず、進歩の変化なり。今日の戦場は最後の戦場にあらずして初陣の戦場なり。今日の門出は絶望の門出にあらずして希望の門出なり。看《み》よ看よ人をして第十一世紀欧州暗黒時代の境遇もかくはあるまじと追想せしむるところのわが封建社会の顛覆《てんぷく》したるは、ただ十余年の前にあり。人をして第十九世紀欧州議院政治の制度より脱化し来たるものならんと予想せしむるところの国会の開設はすでに四、五年の後に迫れり。奴隷たるの平民はたちまちにその階級を上り、主人たるの士族はたちまちにその階級を下り、すでに同地位に邂逅《かいこう》せんとせり。昔日においては人として長刀を横たえざるものは人にして人にあらざるのありさまなりしも、今は剣を帯ぶるものとてはただ常備兵・警官のほかはまた見るべからず。昔は土足をもって蹂躙《じゅうりん》したるキリシタンの十字架も、今はキリスト教としてそのもとに拝跪《はいき》するものさえあるに至れり。試みに思え。鎖港《さこう》の論より海関税全廃・自由貿易の論に至るまで、攘夷《じょうい》の説より内地雑居の説に至るまで、いくばくの日子といくばくの時代を経過したるか、これを想い、これを思えば夢のごとく幻のごとく、処世大夢のごとしの妙句もあたかもこの時代を評するために設けたるものなりというも不可なからん。
 かくのごときはひとり吾人が耳目に触れ来たる政治・社交・衣食住のことにとどまらず。さらに進んで形而上のことを観察したらんにはいかん。道徳・信仰・交際・体面・思想等の標準のごときすべて一顛一倒せざるものはあらず。もし一々これを描写し、これを旧時のものと対照比較するを得せしめば、ずいぶん奇妙なることもあらん。ただ吾人は充分にこれを観察するあたわざるに苦しみ、たといこれを観察するも、これを描写するあたわざるに苦しむなり。されば今日の老輩にして封建時代の破壊より、明治時代の今日に至るまでを経過したるの人は、あたかもこれ邯鄲枕上盧生《かんたんちんじょうろせい》の夢、仙人|棋辺《きへん》王質の斧柄《ふへい》も、もってこれを形容するあたわざるの心地するならん。これを要するに現今の時代は疎枝朽幹なかば枯死せるの老樹が端なく大風のために吹き折られ、かえってその残株よりしてさらに一個の新芽を発し、雨露これを湿し、陽光これを沢し、亭々然《ていていぜん》として雲を凌《しの》ぎ、天を衝くの望みを有せしむる、もっとも前途に希望あるの時代となれり。ゆえにこれを日本の変化といわんよりむしろ日本の復活再生《レゾレクション》というの当たれるにしかず。なんとなれば旧日本はすでに死せり。今日に生存するものはこれ新日本なればなり。
 しからばすなわち日本の将来はいかん。将来の日本はいかん。政治家は日本政治の将来はとやあらん、かくやあらんと心配し、商業家はその商業の前途はいかんと掛念《けねん》し、学者なり、宗教家なり、いやしくも現今の形勢を観察したるものはあわせてその将来をも知らんと欲し、これを欲してやまざるはまことにやむべからざるの理といわざるべからず。しかりといえども社会は単分子の結晶体にあらず。実に異種異類|雑駁《ざっぱく》なる分子の集合体にして、その雑駁なるほど、その自他の関係は至密至細に赴くものなれば、ただその一部を採りてただちにその将来を卜せんと欲するは、けだし難かるべし。今日の政治社会かくのごとくなるがゆえに、将来の政治社会またかくのごとくなるべし、今日の経済社会かくのごとくなるがゆえに、将来の経済社会もまたかくのごとくなるべしと断定することあたわざるべし。なんとなれば将来の政治社会は、今日の政治社会によりてのみ制せらるるものにあらずして、富の分配、知識の分配等のごときものによりて相制せらるるものなればなり。経済社会の将来もまたひとり今日の経済社会によりて制せらるるものにあらずして、あわせて政権の分配、知識の分配のごときものによりて相制せらるるものなればなり。かくのごとく社会の分子はたがいに原動をなし、反動をなし、原因となり、結果となり、主因となり、主果となり、客因となり、客果となり、その現象は千差万別、海浜の砂石もただならずといえども、たがいに相接し、あいともに連帯一致の運動をなすものなれば、その一部の運動を知らんと欲せば勢い全体の運動を知らざるべからず。なんとなれば全体の運動なるものは各部の運動の協同によりて支配せらるるがごとく、各部の運動なるものはまた全体画一の運動によりて支配せらるるものなればなり。
 ゆえに日本将来の政治を知らんと欲する者も、日本将来の経済を知らんと欲する者も、そのほか宗教・学術・文学等を知らんと欲するものも、みなその尋問の点をば全体に拡げざるべからず。すなわちわが邦の社会に現出する将来のことを知らんと欲するものは、その知らんと欲することはいかなる点にもせよ、みなその尋問の鋒先《ほこさき》をば全局面なる日本の将来はいかんという点に向けざるべからず。これ何人の思想をもみなこの問題なる中心点に向けて相帰着するゆえんなり。
 けだしこの問題たるやベルリンの権謀政治家は奇貨失うべからずとしてこれを注目し、ロンドンの哲学者は社会学の材料を発見せんと欲してこれを推究し、ニューイングランドの宗教家はわが東洋異教国中にキリスト教の伝播せんことを思うてこれを思慮し、自由をもってアングロサクソン人の特有物となすの学者は、自由の恩恵は蒙古《もうこ》人種にもなお及ぶことを得るや否やと疑惑し、黄人種の朋友をもって任ずる義侠《ぎきょう》の白人は日本の将来ははたして独立国たるを得るや否やと掛念し、あるいはわが邦在野の政治家は将来を思うて一|穂《すい》の寒燈、沈思黙坐するものもあらん。あるいは修行のほか余事なく学窓に兀坐《ごつざ》する青年の書生もその机上に微睡を催すときには、忽然《こつぜん》としてわが邦の将来を夢みることもあらん。あるいはみずから村閭《そんりょ》の政治家をもって任じ、威権戸長を凌ぐの郷紳も、その傍輩《ぼうはい》と炉辺に踞坐《きょざ》するときには、あまりに現今わが邦変化の不思議に驚き、将来はいかがあらんと相談ずることもあらん。あるいはまた密室に跪《ひざまず》き四辺人なきのときにおいて、ひそかにわが邦将来のことをば積誠を凝《こ》らして上帝に祈る熱心なるキリスト教徒もあらん。あるいはわが邦の将来を思い、これを思いこれを想うて禁ずるあたわず、万籟寂々《ばんらいせきせき》天地眠るの深宵《しんしょう》にひとり慷慨《こうがい》の熱涙をふるうの愛国者もあらん。
 かくのごとくわが邦の将来はだれかれの差別なく、何人の脳裡にも必ず発揮する問題にして、しかしてまた何人といえども、これを解釈するに苦しむところの問題なり。しからばすなわち吾人はこの解釈に苦しむところの問題をばいかにして解釈せんと欲するか。それ過去は遠しといえども、古人の足跡なお存す。もってこれを尋ぬべし。現今は錯雑なりといえども、吾人が耳目に触るるところのものなり。もってこれを知ることを得べしといえども、ひとり将来に至りては、寸前暗黒ただ漠々たる幔幕《まんまく》の吾人が眼前に横たわるを見るのみ。吾人はいかにしてこれを知るを得んや。しかるをいわんや吾人が今日の地位においてをや。それ今日は改革の時代なり。山中の人に向かって山の面目を問うも、中流に浮かむの人に向かって川の形勢を問うも、改革の時代にある人に向かって改革の将来を問うも、決して適当なる答弁を得ることあたわざるべし。なんとなれば身そのうちにあればなり。ゆえにもし吾人に向かってこれを問う者あるも、吾人はただ改革の将来は改革なり、洪水の後は洪水なりと答うるのほかはあらざらん。
 過去のことはもって論評すべし。現今のことはもって観察すべし。将来のことに至りてはいかなる達識|烱眼《けいがん》の人といえどもただ推測するの一あるのみ。しかして吾人今日の位地はこれを推測することすら容易ならず。たとい、これを推測し、苦言痛語したればとて、はたなんの益あらん。むしろエジプトの敗将、セイロン島の遷客たるアラビーパシャに倣《なら》い、日本の将来はただ上帝これを知るのみと安着するにしかざるべし。吾人もとよりこれを知らざるにあらず。しかれども吾人が大胆にもかかる重大なる、すなわち吾人が微力を尽くしたりとてほとんど徒労ならんと思うほどの重大なる問題に向かって推測を試みんと欲するはそもそもゆえあり。けだし何人といえども将来の日本はいかになるべきかの問題中には、必ず他の将来の日本はいかになすべきかの問題を含蓄せずんばあらず。将来の日本はいかになるべきかはもとより吾人が得てあずかるところにあらず。しかれども将来の日本はいかになさざるべからざるかの一問題に至りては、吾人また日本の一人民なり。平生これを忘れんと欲するも忘るるあたわず。つねに吾人を刺衝《ししょう》して寸時も止《とど》まらず。しかして吾人は今日に至りて黙せんと欲するも黙するあたわざるを感ず。ゆえに今日において吾人が論弁しうべきだけのことについては、あえて遅疑せず。ただちに胸臆を※[#「てへん+慮」、第4水準2-13-58]《の》べて、もって直言直論せんと欲するものなり。
 しかりといえども、この問題はたがいに相連帯付着するものにして、決してこれを分離することあたわず。わが邦の将来はいかになさざるべからざるか。吾人が希望するところ固《もと》より一にして足らざるなり。しかれどもその希望ははたして何によりて生じたるの希望なるか。およそ希望にしてその価値あるはただ実行せらるるあればなり。もししからずんばこれ空望《くうぼう》のみ。億万の空望は一の実行に敵するあたわざるなり。社会には社会必然の情勢あり。ゆえに吾人が希望するところたとい千万あるも、決してこの情勢に敵するあたわざるなり。ゆえに将来の希望にして、はたして実行せらるべき価値を有するの希望なりとせば、その希望は必ず将来の情勢と一致せざるべからず。しかして何によりて将来の情勢を知らんとするか。曰くただ将来はいかになるべきかの問題あるのみ。
 もしそれ社会の情勢に抵抗すべからざることを知らば、あらかじめこれに抵抗を試みざるの優《まさ》れるにしかず。なんとなればこれ徒労なればなり。たとえば天を仰ぎて石を投ずるものあらん。いかに精神を揮《ふる》うて投じたりとて、かの石は天外に飛び去るものにあらず。ひとたび投ずればひとたび地に落ち、百たび投ずれば百たび地に落つ。すでに重力に敵するあたわずんば、むしろこれに敵せざるの知あるにしかず。ゆえに吾人は決してわが邦の将来に向かって架空の希望を懐《いだ》くものにあらず。ただ将来において必ず実行せらるべき希望を有するのみ。なにをか実行せらるべき希望と言う。曰くわが社会自然の情勢に従い、これを利導せんと欲するこれなり。すなわちわが日本の将来はいかになさざるべからざるかの経綸《けいりん》は、ただ日本の社会をしてさらに他の干渉することなく、妨害することなくんば将来の日本はいかになるべきかの推測より定まるものなり。
 かくのごとくいかになるべきか、いかになすべきかの二問題は相密着するものなればもし第二の問題を解釈せんと欲せば勢い第一の問題を推測せざるべからざることもあるべし。しかれども吾人がこれを注目し、これを掛念し、かつこれを推測してやまざるゆえんのものはあえてここにとどまらず。さらに一歩を転じてわが邦将来の経綸を定めんと欲すればなり。それ改革の将来は改革なり。しからば、すなわちその改革はいかなる改革なるか。いかなる改革ならざるべからざるか。洪水の後には洪水あり。しからばすなわちその洪水はいかなる洪水なるか。いかなる洪水ならざるべからざるか。光陰※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]々《そうそう》電気の鉄線を走るよりも急なり。昨日ぞ今日の昔なる。一日また一日、行きやまずんば今日において遙々万里の将来もまたたちまちにして他日の現今とならん。しからばすなわち吾人が今日において将来の日本を論ぜんと欲するもあにまたやむをえんや。

 

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