緒言
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緒言
 将来の日本なる問題は、ついに余を駆りてこの冊子を著述せしめたり。余は高尚深奥なる哲学者としてこの問題を論ぜず。また活溌雄飛の政治家としてこれを説かず。余はただ忠厚|真摯《しんし》なる日本の一人民として、余が脳中に湧き来たりたるものを、はばからず、恐れず、吐露したるのみ。余はしいて生産主義を執らんと欲するものにあらず。しかれどもわが邦《くに》将来情勢の赴くところ、勢いいかんともなすべからざるを知るなり。余は単純なる民主論者にあらず。しかれどもすでに生産的の境遇とならば、わが社会は一変して平民社会となるはまたいかんともなすべからざるを知るなり。余はいかなる場合においても、いかなる代価を払うも、ただ平和論を唱うるものにあらず。しかれどもすでにわが社会にして平民社会とならば、わが社会の運動は一転して平和主義の運動となるもまたいかんともなすべからざるを知るなり。余はもとより日本全体の利益と幸福とを目的として議論をなすものなり。しかれどもその議論の標準なるものはただ一の茅屋《ぼうおく》中に住するの人民これなり。なんとなれば、いやしくもこれらの人民の利益と幸福とを進歩するを得ば、全体の利益と幸福とを進歩するはあえて論をまたざればなり。余が議論の原理は、泰西《たいせい》諸学士の思想より脱胎《だったい》し来たるもの少なからずといえども、これを事実に適用して演繹《えんえき》するに至りては余まったくその責めに任ぜざるべからず。しかれどももし余が議論の不完全なるあらば願わくは怪しむなかれ。余がこの冊子を稿するや、寂寞幽僻《せきばくゆうへき》の地においてし、諮詢《しじゅん》の友に少なく、参考の書に乏し。ことにただ零砕の時間を節して、一ヶ月に足らざるの間にこれを成就したればなり。しかしてかくのごとく急速に成就したるゆえんのものは社友諸氏の謄写校定等の労を分つ者ありたればなり。余はここに明記してその労を謝す。
 それ将来の日本は実に多事の日本なり。しかしてこの冊子の論ずるところただ概略に過ぎず。おもうに国会・外交・貿易・財政・兵備・地方制度・宗教・学問・教育・工芸・製造等に関して論ずべきこともとより一にして足らず。もし他日機会を得ば、余は必ず本論の通則を演繹してこれを開陳せんと欲するなり。
 余がこの冊子を著わすただ同志の人に頒ちてその批評を乞わんがためなり。しかれども諸友の懇切なる奨励はついに大胆にも余をしてこの冊子の運命をばわが現今日本の社会に委託するの策を決せしめたり。ああこの冊子の世間より冷遇せらるるも命なり。厚待せらるるも命なり。すでに命なり余はまた何をかいわんや。
  明治十九年十月十日
[#地から1字上げ]東京において  著者記

 

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