忘恩の徒(その2)

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 人工知能研究の権威であるマーヴィン・ミンスキーは、MITのMAC計画で、人工知能開発チームを率いていた。MAC計画は、ARPAの援助によるプロジェクトだった。同計画は、当時ARPA(国防省高等研究計画局)のIPTO(情報処理技術部)部長を務めていたJ.C.R.リックライダーの提唱によってはじまったものである。

 しかしミンスキーは、リックライダーらと喧嘩別れするような形で、MAC計画を離脱している。後年、ミンスキーは著書の中で、
「われわれの研究は、ARPAの援助を受けることはなかった」
 と、書いている。

※この文章はカゼの秀丸さまのご厚意でここに掲載させて頂きました。著作権はカゼの秀丸さまに帰属します。


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