あきらめない男

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 ポール・バランは1966年に、ランド研究所で、核攻撃に耐えられる通信方式を考案した。それは、現在ではパケット交換と呼ばれ、インターネットの基本技術として採用されているものである。

 しかし彼のアイデアは、当時のAT&Tから猛反発を受けた。保守的な電話業界から見ると、音声を送る電話網に、デジタル信号をのせるなどという発想は、暴論以外の何物でもなかった。

 AT&Tでは、バランのアイデアを「技術のど素人の発想で、実現不可能」と決めつけたが、バランは納得しなかった。
 そこでAT&Tでは、バランを屈服させるため、彼に電話技術の連続講義を受けさせた。AT&Tの選り抜きの専門家たちが、入れ替わり立ち替わり登壇し、長時間におよぶ講義が続いた。電話技術は複雑化・肥大化しており、ひとりですべてを理解している人間はいなかったのである。
 講義が終了して、AT&Tの担当者はバランに聞いた。
「どうかね。これで君のいう方式など無理だと、よくわかったろう」
 しかしバランは、
「いいえ、ちっとも。私の方式が不可能である理由など、どこにも見いだせませんでした」
 と、答えて、担当者をがっかりさせた。

 その後、バランのアイデアは空軍によって棚上げされ、事実上握りつぶされてしまった。しかしバランは、国防省関係者に働きかけて、彼の対抗馬だったアナログ方式通信の開発計画も潰し、痛み分けとした。

※この文章はカゼの秀丸さまのご厚意でここに掲載させて頂きました。著作権はカゼの秀丸さまに帰属します。


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