舐めるな

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 アラン・チューリングは24歳のとき、「計算可能数」という論文を書いて、世界的な注目を集めた。これは、当時の数学界の最先端をゆく難問に対して、架空の自動計算機を使って回答を与えるというユニークなものであった。ここで提案された架空の計算機は、「万能チューリング・マシン」と呼ばれ、プログラム内蔵方式の理論的原型になったといわれている。
 チューリングは第二次大戦中、ドイツ軍のエニグマ暗号を解読するため、自動計算機を設計した。ノルマンディー上陸作戦が成功した陰には、チューリングら暗号解読チームの貢献があったという。しかし、この活動は戦後も国家機密となっていたため、彼の活躍が一般に知られることはなかった。

 戦後、彼は英国立物理研究所(NPL:National Physical Laboratory)に招聘されたが、入所時の面接では、数学の基礎知識を問うような質問をされた。面接官が、戦時中のチューリングの活躍を知らなかったためと、彼の若さと世界的名声に対し、やっかみがあったものと思われる。あまりに失礼な質問に、チューリングは反問した。
「その質問に私が答えられなかったら、どうなるのですか」

※この文章はカゼの秀丸さまのご厚意でここに掲載させて頂きました。著作権はカゼの秀丸さまに帰属します。


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