インターネットの先祖であるARPAnetは、1966年に開発がスタートしている。開発責任者であるラリー・ロバーツは、各大学のコンピュータ学者を集めて、協力を要請した。だが、どの学者も、かたくなに協力を拒んだ。ラリー・ロバーツの考案した方式では、高価なメインフレームのCPU時間を、相当程度ネットワークの管理に奪われてしまうからである。
ロバーツの招集した会議には、ウェズリー・クラークも参加していた。彼は、個人用の対話型コンピュータのパイオニアである。DECのPDPシリーズの原型となったTX−0、TX−2や、アラン・ケイから「パーソナル・デスクトップ・コンピュータの元祖」と評されたLINCを開発して、ミニコンピュータの道を開拓した。
「小さな仕事は、小さなコンピュータに。個人的な仕事は、個人占用のコンピュータに」
という彼の理念は、ネットワークや時分割処理とは対立するものであった。せっかくのコンピュータ・パワーを、大勢で共有して遅くしてしまうことが、彼には耐えられなかった。
しつこく説得を繰り返すロバーツに苛立ったクラークは、
「ネットワークの内と外が逆だ!」
というメモをロバーツに廻した。意味はわからなかったが、切れ者のクラークにまで拒絶されたことで、ロバーツは沈黙するしかなかった。
会議のあと、ロバーツはクラークを呼び止め、メモの意味を尋ねた。やむなくクラークは、自分のアイデアを話して聞かせた。それはメインフレームのほかに、ネットワークの管理のための装置(小さな専用コンピュータ)を設置する、というアイデアだった。そうすれば、ネットワーク参加者は、自分のマシンの速度を落さずにすむ。その専用コンピュータは、のちにIMP(インプ)と呼ばれることになるが、現在ではルータという名前で知られている。
ラリー・ロバーツは、クラークのアイデアに救われる思いがして、さっそく実行に移した。さらにロバーツは、言い出しっぺのウェズリー・クラークを、IMPの開発に引き込んだ。クラークは、当初反対していた計画のために、時間と才能を使う羽目になった。
※この文章はカゼの秀丸さまのご厚意でここに掲載させて頂きました。著作権はカゼの秀丸さまに帰属します。