藪から棒に振った人生

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 ビル・ゲイツとともにマイクロソフト社を創業したポール・アレンは、不治の死病であるホジソン病と診断された。彼は、会社を辞めて引退生活に入った。1983年3月のことである。ビル・ゲイツは、親友であり片腕であるアレンを失うことを惜しんだ。
 すでに億万長者となっていたアレンは、趣味の生活を送り、静かに死の時を待った。だが、いつまで待っても死神はやってこなかった。その間にマイクロソフト社は成長を続け、アレンとゲイツの夢だった「世界標準」を形成していった。
 ホジソン病の診断が誤診であるとわかったとき、引退後7年がたっていた。マイクロソフト社は世界的な巨大企業になっており、復帰したアレンの居場所はなかった。

※この文章はカゼの秀丸さまのご厚意でここに掲載させて頂きました。著作権はカゼの秀丸さまに帰属します。


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