ジョン・モークリーは、世界初のコンピュータENIACの開発者である。だが、その名誉はフォン・ノイマンに奪われてしまった。モークリーらが決定したコンピュータの設計方式を、あとから開発に参加したノイマンが、かってに自分の名前で発表してしまったためである。このため、現在のコンピュータは、「モークリー方式」とは呼ばれず、「ノイマン方式」と呼ばれている。
名を失っても、せめて実を取ろうと、モークリーはENIACの改良型であるエドバックの特許取得をめざした。だが、これもノイマンの妨害にあって果たせなかった。「アメリカの頭脳」と呼ばれるノイマンに、軍と政府が味方したためといわれる。
やむなくモークリーは、ENIACの特許を取得することにしたが、そのために大学をクビになってしまった。ENIACの特許権を譲るよう強要した大学側と、争いになったためである。ENIACの特許が交付されたのは、申請から17年後のことである。
さらに晩年には、ENIACの特許をめぐる裁判に負け、「モークリーは他人の発明を盗んだ」と言われるようになる。モークリーはENIACの開発以前に、アイオワ州立大学のアタナソフ教授が作った電子計算機(ABCマシン)を見学したことがあった。これが「発明剽窃」と認定されたのである。
しかし、当のアタナソフ自身、ENIACがABCマシンの原理を受け継いだものだとは考えていなかった。そもそもABCマシンは、設計が未熟なため、完成することなく消えたマシンだった。それでも多くの人が、「世界初のコンピュータはABCマシンで、ENIACはその盗作だった」と信じることとなった。モークリーは汚名に悲憤しながら一生を終えた。
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