第八回 平民主義の運動 一
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第八回 平民主義の運動 一(第二 社会自然の大勢より論ず)
 天地は万物の逆旅《げきりょ》にして光陰は百代の過客なり。しかしてこの光陰の大潮流とともに世界の表面に発出する人事の現象はおのずから運転変動せざるべからざるものあり。しかしてその変動なるものはおのずから社会自然の大勢のために支配せらるるものあるを見るなり。
 試みに見よ。上古において光彩|燦爛《さんらん》、世界の舞台を装うたる貴族的の現象は今いずくにある。看よ。その一半はすでに凋落《ちょうらく》し去り、視聴の世界を去り、すでに記憶の世界に入りしにあらずや。しかしてそのわずかに生存するものとても痩歩蹣跚《そうほまんさん》すでにその片足をば墓中に投じたるにあらずや。これに反しかの平民的の現象なるものは、あたかも一夜のうちに富士の高山が地面より湧出《ようしゅつ》したるがごとく、第十九世紀の世界に突兀《とつこつ》として聳《そび》え来たりたるにあらずや。けだし貴族的の現象すでに去りて平民的の現象まさに来たらんとするはこれ歴史上の一大事実なり。すでに事実なり必ずそのしかるゆえんのものあらざるべからず。
 そもそも社会を組織するの分子は、実に雑駁《ざっぱく》なるものなれば、その運動のごときも決して単純の法則のみにて支配せらるべきものにあらざるはもとより論をまたず。ゆえに吾人はあえてこれをもって、生産武備二機関の消長盛衰をもって、唯一の原因とはならざれども、もしこれらの現象はいかなる境遇に生長し来たるべきかと問わば、吾人は猶予なく答えんと欲す。かの貴族的の現象は武備機関の進歩したる境遇に生ずるものにして平民的の現象は生産機関の隆盛なる境遇に生ずるものなりと。すなわち上古の歴史にしてかくのごとき現象あるは決して異《あや》しむに足らず。なんとなればかくのごときの境遇あればなり。近世の歴史においてかくのごときの現象あるは決して異しむに足らず。なんとなればかくのごときの境遇あればなり。
 いかなる自由の意志を有する動物も、必要の前には必ずその首を低《た》れざるべからず。実に上古において武備機関を設けざるべからざるの必要は、すでに他の一種、異様異彩なる貴族的の現象を生ぜざるべからざるの必要を産せしめたり。しかしてなんの必要ありて上古においては武備機関を設けざるべからざらしめたるか。人間社会の進歩せざるべからざる必要あるがゆえなり。せつにこれをいえば、優勝劣敗の妙理を活用してもって優等の人種と優等の社会とをして社会に生存せしめ、社会を支配せしめんとするの必要あるがゆえなり。
 世界文明の微光は兵の運動とともに始まり、武備の機関進歩するに従い社会はいよいよその歩を進め、二者並行いまだかつて轡《くつわ》を駢《なら》べ、袂《たもと》を連ねて運動せざることはあらず。吾人は実に断言す。文明なるものは実に武力の胎内より孕産《ようさん》したるものなることを。試みに思え。文明世界の人類をして文明の民たらしめんと欲せば自由の必要なるがごとく、野蛮世界の民をして文明の民に進めんと欲するときには抑圧なるものは実に必要なり。これはその意の動くがままに放任せざればもって文明の運動をなすあたわず。かれはその意の動くがままに放任するときにはもって文明の運動をなすあたわず。その目的は一なり。しかれどもその手段かくのごとく異ならざるべからざるゆえんのものは実にその人民の位置においてやむべからざるものあればなり。
 試みに思え。いかにして偉大なる帝国は生ずることを得たるか。いかにして器械技術は発明することを得たるか。いかにして屈強なる体格を有する人民は社会を支配することを得たるか。いかにして緻密《ちみつ》なる法律は生じたるか。いかにして錯雑なる政治社会の機関は発達することを得たるか。これを約すればいかにして人類の社会をして蜂衙蟻楼《ほうがぎろう》より高等なるものとならしめたるを得たるか。これみな腕力運動の結果にあらずや。けだし今日のいわゆる文明世界に向かって未開野蛮の人民をして一歩を転ぜしめたるものはなんぞや。他なし。ニムロデのごとき、秦《しん》の始皇のごとき、もしくはロムルスのごとき、メネスのごとき、ライカルガスのごとき人々の社会に出でたればなり。もしこれらの人|微《な》かりせば今日の社会は依然たる太古の社会にして、今日の人民はただかのタタールの曠原《こうげん》に野獣を逐《お》い、アラビアの砂漠に駱駝《らくだ》を駆るの人民なるべし。すなわちこれらの暴君もしくは圧制者なる者は実に社会進化の大恩人といわざるべからず。ゆえに上古の世界においてつとに自治の制度を適用し平民的の現象をもって社会を支配したるの国体なきにあらず。すなわちカルタゴのごとき、ツロのごとき、もしくはアテネのごとき、あるいは地中海の沿岸に星羅《せいら》したるツロ、ギリシアの諸植民地のごとき、自由の光輝を上古の社会に放ちたるものなきにあらずといえども、小魚は大魚の餌となり、小敵は大敵の擒《とりこ》となり、ついに近傍の腕力国の腹を肥やすの食物となれり。これなんのゆえぞや。けだしその時節を得ざればなり。その境遇に適せざればなり。その進歩と社会全体の進歩と平均を得ざればなり。ゆえに上古の歴史に平民社会を見ればあたかも万緑叢中《ばんりょくそうちゅう》一点の紅を望むがごとく実に愉快とも珍奇ともいうべけれども、とうてい可憐可悲の歴史たるに過ぎず。ゆえに知るべし。ローマのカルタゴを滅ぼしたるはスキピオの功業にあらず。カルタゴの滅ぼされたるはハンニバルの罪にもあらず。アテネがスパルタのために屈辱せられたるもひとりこれをペロポネソスの一戦に帰すべからず。その滅びたるは平民的の社会なるがゆえなり。あるいはむしろ平民的の社会の罪といわんよりその時節に不適合なる社会なりしがゆえなり。その威力を逞しゅうしたるは貴族的の社会なりしがゆえなり。あるいはむしろ貴族的の功徳といわんよりその時節に恰当《こうとう》の社会なりしがゆえなり。武備的の世界には貴族的の社会もってその力を逞しゅうするを得べし。生産的の世界には平民的の社会もってその力を逞しゅうするを得べし。これ自然の理なり。
 しかりといえども光陰の潮流は奔《はし》りてやまず。武備的の機関すでにその効用を社会の進化に竭《つく》し、これがために社会が一歩を転ずるのときにおいては社会の境遇も一歩を転ぜざるべからず。白雪天地に満ち四望銀世界の日において、春風百花を扇《あお》ぐの好時節はほとんど人の夢想せざりしところなりといえども、地球が地軸を転じ、その軌道を奔るや、端なくこの時節に来たらざるべからざるがごとく、わが世界の歴史も、日月の潮流とともについにこの意外なる境遇に来たらざるべからざるの命運となれり。けだしかの中古の歴史は武備の境遇一変して生産の境遇となり、貴族の社会一変して平民の社会とならんとする一大過渡の歴史にして近世の歴史はすでに半ばその目的を成就し、また半ばこれを成就せんと欲するの歴史といわざるべからず。かの生産の機関が武備機関の中心より出でたるがごとく、また近世平民的の現象なるものは多くは中古の貴族的の現象中より生出し来たらざるものほとんどまれなり。しかして武備機関の衰亡と、貴族社会の凋落と、生産機関の興隆と、平民社会の勃起《ぼっき》とは、つねに一致連帯の運動をなすものにして、このなかには実にいうべからざる妙理の存するものあるは社会の大勢に通じたるの士の実に玩味《がんみ》するところならん。けだし英国ほどその秩序よく平民主義の進歩したるものはあらず。実に英国社会変遷の実例はもって欧州一般社会の模範として論ずるに足るべし。しかしてかの英国はなにがゆえにかくのごとくすみやかに封建の羈絆《きはん》を脱し、かくのごとくすみやかに帝王の専制を脱し、かくのごとくすみやかに宗教の専制を脱し、妄想迷信の専制を脱し、いかにしてその政治の自由を得、いかにしてその社交の自由を得、いかにしてその思想・議論・良心の自由を得たるかと問わば、古今の学者のこれに答うる、その説はなはだ繁くかつ長しといえども、ただ一の要領を挙げんことを請わば、万口一声みな富の進歩したるがゆえなりというべし。商業の進歩と、平民主義の進歩とは、決して単行するものにあらず。よし暫時はかかる例外の現象もあるべけれども、とうてい相連絡せざるべからざるものなり。いやしくもしからざればその二者の生存決して覚束《おぼつか》なきなり。もしこれを疑わばなんぞ試みに英国憲法史を一読せざるや。
 ああいずくんぞそれ造物主の用意の周到懇切なるや。彼は抑圧の人生に幸福を与うるときにおいては必ず人生に向かってはその抑圧を与えたり。かの手みずから与えたるにあらず。しかれども社会の境遇は当時の人類をして抑圧を忍受せざるべからざらしめたり。人類すでに自由を必要なりとなすときにおいては造物主はまた自由を与う。かれのこれに与うるゆえんのものは他の術なし。ただ人類の境遇を一変して抑圧を忍受すべからざらしめたり。上古の社会に武備機関の増長したるは近世の社会に生産機関の増長せんがためなり。上古の社会において貴族的の社会の流行したるは近世の社会をして平民的の社会たらしめんがためなり。吾人が先祖の抑圧をこうむりたるは吾人をしてこれをこうむらざらしめんがためなり。すなわち吾人をして自由を得せしめんがためなり。
 実に自由の世界すなわち平民的の社会はかのルソーが夢想したるごとき質朴野蛮の社会において決して行なうべきものにあらず。すなわちその性質をして従順ならしめ、その気象をして馴致《じゅんち》せしめ、これをして結合協力の道を知らしめ、これをして自愛・他愛の関係を知らしめ、これをして社会の威力を感ぜしめ、その形体上においては恒久に耐うるの身体たらしめざるべからず。その知力上においては遠慮あり、将来を予備するの知識を蓄えしめざるべからず。その感情上においては主我的の放恣《ほうし》なる運動を制する種々の体面法・習慣法の支配を被らしめざるべからず。ただかくのごとく進歩したる社会にして、初めて人為の結合やんで自然の結合生じ、人為の必要やんで天然の必要生じ、強迫牽制的の運動やんで初めて自由随意的の運動行なわるることを得るなり。それ野禽《やきん》を林園に馴れ養わんと欲せばまずこれを籠中《ろうちゅう》に収めざるべからず。籠中は決して野禽目的の地にあらざるなり。しかれども林園のうちを高飛朗吟せしめんと欲せば、必ずまずこの窮屈なる籠中の苦を忍受せしめざるべからず。しからざれば決してその性をして馴養《じゅんよう》せしむることあたわざるなり。それ世界は造物主の林園なり。人類はその野禽なり。これをしてその幽谷を出で喬木《きょうぼく》に移り林園を快翔《かいしょう》せしめんと欲せば、まず貴族社会の籠中に孤囚たらしめざるべからず。それ上古貴族的の社会は人類を教育して自由の天性を全うせしむる一の学校にてありしことは、人類が幾千年を経過したるの今日に至り、初めてその過去の足跡を回顧しようやくにしてその深意の万一を理解するを得るに至れり。それ火中に蓮花を咲かしめ荊棘《けいきょく》のうちより葡萄を収穫し、不自由中より自由を生ずるがごとき不可思議の手段に至りては、吾人は実に驚嘆せざらんとするもあたわざるなり。しかして人生の狭少なる心をもって考うればこの不自由的の学校に在る日月のあまりに遼遠《りょうえん》なりしを見てひそかに疑う者あれども、かれ無極をもって時となし、宇宙をもって家となす、上帝の眼光より見れば一秒時間にだも価せざるべし。造化一歩を転ずれば人生幾千年を経過するを知らず。ああまた大なるかな。

 

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