技術と理論

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 ENIACの開発は、世界的な数学者であるフォン・ノイマンを顧問に迎えたことで、大きく前進したという。ノイマンが参加した時点では、すでにENIACの設計は完了していた。だが、「有名なノイマン博士」を広告塔に据えることで、より多くの開発予算が獲得できたのである。

 そのノイマンも、はじめてENIACの構想を聞かされたときには、
「それは動かない!壮大なショートだ」
 と、即座に否定したという。大量の真空管を使う計算機は、不安定すぎて動かないと考えたからである。だが、実際に動いているENIACをみて、ノイマンは考えを変えた。のちに彼は、皮肉にも「コンピュータの父」と呼ばれることになる。

 そもそも、真空管を計算に使うことを考えたのは、イギリスのウィン・ウィリアムズ(Charles Eryl Wynn-Williams)である。彼はケンブリッジ大学の大学院生で、有名なラザフォード(原子核の発見者)のもとで研究をしていたエリートである。彼は1931年に、宇宙線の測定のために、電子管を使った2進カウンタを発明した。のちに彼は、電子回路の権威として、第二次大戦中の暗号解読プロジェクトに招かれる。そこで彼は、真空管を使った暗号解読機開発のアイデアを聞かされたが、
「難しいね」
 と、難色を示した。
 彼が否定したマシンは、のちにコロッサスという名前で完成し、ドイツ軍のエニグマ暗号解読に活躍した。

※この文章はカゼの秀丸さまのご厚意でここに掲載させて頂きました。著作権はカゼの秀丸さまに帰属します。


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