第六回 平和世界 二(同上)
富は実に第十九世紀の一大運動力なり。すでに兵のよく政治世界を支配するの勢力たることを知らば、富のまたよく経済世界を支配するの勢力たることを知らざるべからず。政治世界の経済世界より籠絡《ろうらく》せらるることを知らば、兵もまた富より籠絡せらるることを知らざるべからず。兵の勢力の広大なるを知らば、兵を支配する富のさらに広大なる勢力たることを知らざるべからず。それ第十九世紀の世界は富よく兵を支配するの世界なり。
けだし欧州の歴史において常備軍の制度の創始したるは実にかの富が兵に向かって一着の勝を占めたるものなりといわざるべからず。なんとなればかの常備軍なるものは全国を挙げてみな兵なるの社会を一変して全国一部の小数をば兵たらしめ、その他多数の人民をして容易にその殖産の事業に従わしめ、かつ従事せしめざるべからざるの必要を生じたればなり。なんぞやかの人民はひとり自家の口を糊するにとどまらず、あわせてその厄介者たる常備軍をも養わざるべからざればなり。
常備軍の創始と火器の発明とはその時代を問えばほとんど同時ともいうべく、その関係を問えば実に精妙不思議なる因縁を有するものにして、これを解説することをばしばらく他の議論に譲り、吾人はただかの常備軍は火器によりて成り、火器は高価なる経費によりて立つものなることを明言しおくをもって満足せざるべからず。看よ看よ今日において宇内《うだい》を睥睨《へいげい》する通邑大都《つうゆうだいと》のごときも、近世史の始めにおいては実に憐れむべき微少なるものにして、彼らはいかにして封建豪族、鷲鳥《しちょう》の一抓一攫《いっそういっかく》を免れたるか。ただ王政の大翼中にその隠所を求めたればなり。
しかしてかの帝王はなにがゆえにこれに自由の特許を与えたるか。なにがゆえにその自治権を放任したるか。なにがゆえにその味方となりてつねにこれを保護したるか。なにがゆえにその通商貿易をば奨励しその進歩に加勢したるか。他なしただ渠輩《きょはい》より租税を出《い》ださしめんがためのみ。つまびらかにこれをいえば、かの常備軍を保つの入費をば負担せしめんがためのみ。いやしくも英国憲法史を一読したる人は知るべし。かの帝王はなにがゆえに都邑の市民をば国会には出席せしめたるか。なにがゆえにまたなんの必要ありて国会を開設したるか。なんの必要ありてかそのもっとも大切なる権理をば吝《おし》む気もなく人民に譲与したるか。唯一の必要あるのみ。すなわち兵備を維持する一の必要あるがゆえなりしことを。
かくのごとくその始めにおいては武備を達するの一手段として武備機関のうちに養成せられたれども、かの生産機関なるものはその性質において非常に開発すべきの分子を有したるがゆえに、みすみす一粒の芥子種《からしだね》が春陽に乗じて生長するがごとく、ついに空中を舞うの燕雀《えんじゃく》さえもその枝に巣《す》くうに至るの勢いとなれり。勢いここに至る。たといかの帝王宰相らはいかに後悔するもいまさら及ぶところにあらず。たとえば英国のごときもいわゆるかのバジョット氏が言のごとく「ヘンリー第八世の奴隷的の国会は一変してエリザベス女王の不平的の国会となり、さらに一変してゼームス第一世の激昂的の国会となり、またさらに一変してチャールス第一世の謀叛的の国会と」生長し、今はかの神種神権説の主張者たるチャールス王もやむをえずかの製造人・職工・商業家・貿易者・農夫らに向かってその膝を屈し、その鼻息を窺わざるべからざるに至らしめたり。ああこれなんのゆえぞや。ただ富の力よく兵を制するがゆえなり。けだし欧州野蛮人乱入以後ことに常備軍創始以後の歴史は実に兵と富との消長盛衰の事実をもって充満したるものにして、むしろこれを兵・富戦争史といわざるべからず。吾人は読んでここに至るごとにあたかも木曽山中の旅客が、尺幅の天を眺め、寂々たる一※[#「筑」の「凡」に代えて「卩」、第3水準1-89-60]千巌万壑《いっきょうせんがんばんがく》のうちを蹈破し、初めて碓氷《うすい》嶺上に至り、茫々《ぼうぼう》たる八州の平原を望むがごとく、実にその快活を感ぜずんばあらず。
それ上古において野蛮人が開花人を蹂躙《じゅうりん》したるゆえんのものは他なし。ただ腕力をもって富を制することを得たればなり。今日において開花人が野蛮人を呑滅するゆえんのものはなんぞや。ただ富をもって腕力を制することを得ればなり。実に今日の世界は富をもって兵を制するの時代にして富はすなわち威力なりとは実に今日の大勢を看破したるの警語といわざるべからず。アダム・スミス曰く、
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近世の戦争においては火器の莫大なる費用あるがためによくこの費用を支弁するを得たる国民に便益を与えたり。すなわち富んで文明なる国民をして、貧にして野蛮なる人民に向かってその勝利を占むるを得せしめたり。上古においてはこの富んで文明なる国民はかの貧にして野蛮なる人民の攻撃をば防御するにはなはだ困難なることを感じたれども、近世においてはかえって貧にして野蛮なる人民は富んで文明なる人民の侵入をば防御するのはなはだ困難なるを感ずるに至れり。かの火器の発明のごとき一見すれば禍害的のもののごとしといえども、実に文明の拡張と維持とに向かってともに恩恵あるものといわざるべからず。
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しからばすなわち知るべきのみ。今日において東洋諸国が欧州より呑滅せらるるゆえんのものは他なし。ただ我は貧にして野蛮なる国にして彼は富んで文明なる国なるがゆえなることを。これ自然の理なり。またいずくんぞこれを疑わんや。
試みに見よ。かの露国のごときは全地球二十六分の一または陸地七分の一を占め、方八五〇万英里の版図を有し、今古無比の大帝国たるにかかわらず、しかしてまた純乎たる腕力国なるにもかかわらず、その兵馬はもって欧州列国を蹂躙するに足るの猛勢あるにもかかわらず、その勢力を欧州に逞《たくま》しゅうするあたわざるのみか、東亜においてさえ思うほどには逞しゅうするあたわざるゆえんのものはなんぞや。英国のこれを掣肘《せいちゅう》するがゆえなり。しかしてかの英国はなにをもってこれを掣肘するか。彼をして海上の王たらしむる海軍あるがゆえか。曰く否。彼をして海上の王たらしむるゆえんのものは海軍あるがためにあらず。商船あるがためなり。マルホール氏曰く「一八七七年にあたりて諸国の港湾に入りくる船舶を挙ぐれば、一億〇二三九万艘にしてしかして各国の船舶は四九一五万トンに上らず。その余の五四二四万トンはことごとく英国の商船なり」と。しかしてこの莫大なる商船はまたいかなる必要ありて所有するか。その商業の隆盛あるがゆえなり。実に英国の仲買商は全世界の五割三分余の大数を占めたるをもってのゆえなり。英人ポーター氏曰く「わが邦をしてもし製造の熟練あらざらしめばボナパルトの大戦にあたり決して勝算なかりしならん」と。すでにしからば英国が露国を掣肘するゆえんのものもまたここに存するや知るべし。しからばすなわち英国がいわゆる伯を世界に振うゆえんのものは、しかしてかの世界の最強国たる露国をしてあえてその右に出ずることあたわざらしむるゆえんのものはロンバード街の貨幣市場あるがゆえなり。ニューカッスルの造船所あるがゆえなり。マンチェスターの綿花製造所、シェフィルドの鉄器製造所あり、ロンドンの万檣《ばんしょう》林立の港湾あるがゆえなり。実にかの諸製造所の烟筒より吐き出《い》だす万丈の黒烟は敵を報ずる烽火台《ほうかだい》のごとく、かの露国をしてあえてその野心を逞しゅうすることあたわざらしめたり。看よ看よいかにかの露国がその人民を鞭撻《べんたつ》し、その膏血《こうけつ》を絞るも、限りあるの財本はもって限りなきの経費に充《あ》つるあたわず。策究し術尽き、その最後の手段はただその不信用を世界に広告する高利の公債をばロンバード街に向かって募集せざるべからざるの勢いに迫らずんばあらず。かのゴブデン氏がいわゆる英人に向かって「汝が金を露国に貸すはこれ汝は噴火山上に財本を置くなり」と忠告したるがごとく、かの露国はもっとも不安心なる得意者なればその金利のことさらに不廉《ふれん》なるももとよりゆえなきにあらず。しからばすなわち知るべきのみ。英国が露国を凌駕《りょうが》するゆえんのものは富を有すればなり。露国が凌駕せらるるゆえんのものは富を有せざればなり。はたしてしからば富と兵とは今日の世界においていかなる比例の勢力を有するか。もとより知者をまってこれを解せざるべし。吾人は実にいう富の力はもって兵に敵すべし。兵の力はもって富に敵すべからず。なんとなれば今日の世界においては兵は富によって維持することを得るも、富は兵によって維持することを得ざればなり。
試みに思え。もし今日にして兵の力よく富を支配することを得ば、かのビスマルクはなんぞみずから苦しんで第十九世紀のライカルガスとなり、鉄銭を鋳《い》り、貿易を禁じ、港湾を鎖し、関門を設けて往来を遮り、世界のほかさらに一の新世界を作り、天地のうちさらに一の新天地を開き、かのゲルマン帝国をして近世のスパルタたらしめ、己れが思うままに武備の機関を発達せしめざる。いやしくもかくのごとくなれば一国を挙げて城となすも可なり。人民を挙げて兵となすも可なり。訓練のためとしては盗賊を公許するも可なり。演習のためとしては奴隷を襲撃せしむるも可なり。将来兵士となるの見込みなき懦弱《だじゃく》なる小児はこれを屠《ほふ》るも可なり。しかるにかのビスマルクはみずからかくのごとき得意のことをなさず、なにを苦しんでみずからもっともその不得意なるソロンを学ばんとするか。なにがゆえにその大奪掠家たる資格に加うるに商業家の性質をもってせんと欲するか。吾人は彼が国内において製鉄事業をしてベルギー・英国と競争せしめ、あるいは青銅器・燈火器をばオランダ、ベルギー、スペイン、イタリアの市場において仏国の製品と角逐《かくちく》せしめんとしたるがごとき、また近来東洋ことに日本・シナの市場において東洋の旧主人たる英国をばその貿易の戦争において圧倒せんと企てたるごとき、その手段は経済的自然の境界を超越して政治上もしくは兵略上の手段にもせよ、その目的は貿易者の善意に出でずして陰険なる外交家の分子を含むにせよ、なにがゆえに彼はかくのごとき事業を経営するの必要を感じたるか。吾人は実にこれを怪しまざるを得ず。
しかりといえども毫《ごう》も怪しむなかれ。これいわゆる第十九世紀の大勢なり。実にかの富の勢力、すなわち富にあらざれば兵備を保つあたわざるの必要はかのビスマルクをして外交政略家の真相に貿易者の仮面を被らしめたり。吾人は実にゲルマン人民のためにその前途に一道の微光あるを見てこれを祝せずんばあらず。それ人の国を奪わんがために貿易するも貿易なり。人を殺さんがために貿易するも貿易なり。盗跖《とうせき》の心をもって貿易するも堯舜《ぎょうしゅん》の心をもって貿易するも、貿易はすなわち貿易なり。すでに貿易なり。貿易の太陽ひとたびゲルマン帝国の中心を照らすときには、彼が奇々怪々なる魔術をもって幻出したる武備の妖星は忽然《こつぜん》としてその光を失うやもとより論をまたざるなり。去年九月八日の『ドイツ官報』は記して曰く「吾人は十余年前まで戦勝の利によるにあらざれば得がたしと信じたるところのものを今や勧業の功によりてこれを得るの幸運に達せり」と。かのドイツ人民もそれ今にして悟るところあるか。かのビスマルクの強頂傲鷙《きょうちょうごうし》なるなお第十九世紀の大勢力に向かっては泥中に拝跪《はいき》せり。いわんや他のビスマルクたらんと欲する人においてをや。またいわんやビスマルクたるあたわざる人においてをや。世の妄庸《ぼうよう》政治家よ願わくは眼を転じて汝の後頭を顧みよ。
ただ一見せば欧州は腕力の世界なり。少しくこれを観察するときには裏面にはさらに富の世界あるを見、兵と富とは二個の大勢力にして「いわゆる日月|双《なら》び懸《かか》りて、乾坤《けんこん》を照らす」のありさまなるを見るべし。しかれどもさらに精密にこれを観察せば兵の太陽はその光輝|燦爛《さんらん》たるがごとしといえども夕暉《せきき》すでに斜めに西山に入らんとする絶望的のものにして、かの富の太陽は紅輪|杲々《こうこう》としてまさに半天に躍り上らんとする希望的のものなるを見るべし。しかして今さらに一層の思考を凝らすときはこの絶望的の光輝も、畢竟《ひっきょう》するにかの希望的の光輝に反映して霎時《しょうじ》に幻出したるものにして、これをたとえばかの月はもとより光輝なきものなれどもただ太陽の光輝に反映して美妙の光を放つがごときを見るべし。それ月の光は太陽の光なり。もし太陽の光を除き去らば月光とて別に見るべきものはあらざるなり。今日において兵の勢力あるは富の勢力を仮りたればなり。もし富の勢力を除き去らば兵の勢力とて別に見るべきものはあらざるべし。おもうに世の活眼家はこの道理をたやすく承認すべし。昔時において武備のために存在したる生産は今日においては一変して生産のために存在するの武備となり、その目的は一変して手段となり、その手段は一変して目的となり、君臣主僕その位地を顛倒《てんとう》し、昔時においては汗を流し骨を折り、かの武士に奉じたる商人農夫を保護せんがために、今日においてかのワーテルローの豪傑ウェリントンのごとき大将軍も、トラファルガーの英雄ネルソンのごとき水師提督も、血戦奮闘するに至りしは、吾人が天理人道のために祝せざるべからざるところなり。
しかして今日においてはかの兵備なるものはひとり生産を保護するの必要品にとどまらず、また生産機関の勢力を天下に広告するの驕奢品《きょうしゃひん》たるがごときの状あるは、実に吾人がもっとも奇異の現象なりとして観察するところのものなり。たとえばかの徳川時代、天下泰平|烽火《ほうか》を見ず、寸鉄を用いざるのときにおいてはかの戦国の時代において必要品なる刀剣は一変して驕奢品となり、かの貴紳豪客が正宗の太刀、兼定の短刀、その鍔《つば》といいその小柄《こづか》といい黄金を装い宝玉を鏤《ちりば》め、意気揚々として市中を横行するのときにおいては、道傍の人たれもあっぱれ貴人なりと指さし語るを見てみずから得意となすがごとく、今日欧州諸国においてもクルップ砲といい、アームストロング※[#「石+駮」、第3水準1-89-16]《ほう》といい、甲鉄艦といい、水雷火船といい、ただ一種国光を耀《かがや》かすの装飾にして、「わが国はかくのごときの軍備あるぞ」と他国に誇示するに過ぎず。要するにその戦争なるものは多くは軍備の戦争にして、それいまだ実際に戦端を開かずしてその勝敗を決するの状あるがごときはなんぞや。他なし。これただ富の多少をもってその勝敗を決するものにあらずしてなんぞや。ゆえに曰く富は実に第十九世紀を支配する一の大勢力なりと。
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