インテルは日本に足を向けて寝られない、という説がある。インテルの初期のマイクロプロセッサは、米国内ではほとんど売れなかった。当時、4004などのプロセッサをせっせと買っていたのは、テックや精工舎など、日本の電機メーカーだったという。
当初、インテルはまだ小さな会社で、品質管理や生産管理の体制が不十分だった。バグや出荷遅延はしょっちゅうで、しばしば日本の顧客企業の生産ラインを止めてしまった。それでも懲りずに、日本企業は根気よくインテル製品に投資し続けた。これらの投資がなければ、ペンティアムに至るインテル製品の開発費用は捻出できなかっただろうといわれる。
テックの大仁工場では、インテル製品のせいでラインが止まると、
「こら傳田!ちょっと来い!」
と、インテル日本法人の若手社員・傳田を呼びつけた。
呼ばれて傳田が駆けつけると、工場長はかんかんに怒っている。テックではインテル4004を登載した電子秤を作っていたが、4004が予定どおり到着しないので、工場中が開店休業状態になっていたのである。
することのなくなった工員たちは、工場の清掃作業をしていた。いたたまれなくなった傳田は、工場の隅で草むしりを手伝うのだった。
インテルではたびたび出荷遅延を起し、そのつど傳田は、
「こら傳田!草むしりに来い!!」
と、呼びつけられた。この草むしり社員が、のちのインテル・ジャパン社長・傳田信行である。
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